卓話


日本経済の課題〜我々にできること

2012年5月16日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

早稲田大学大学院
ファイナンス研究科
教授 川本裕子氏

1.日本経済の課題
 2012年も5月になり,日本でも増税の是非を巡って,政治の正念場を迎えています。

 日本は国債の95%が国内で消化されているので,財政の厳しさへの市場の反応は,ユーロ圏に比べて今のところ穏やかです。しかし,この状況が続くという保障は全くなく,ギリシャの問題は決して対岸の火事ではありません。

 震災から1年2か月経って,様々な場面でこれからの日本経済の在り方への模索が続いています。財政を健全化して,社会保障制度を持続可能なものにするための基礎は経済成長であるという声には強いものがあります。しかし,そのような政策になっているとは,必ずしも言えません。

 現在の成長政策の焦点は,財政金融といったマクロ政策面では,引き締めの行き過ぎが成長を阻害し,税収減などで問題悪化につながらない注意が必要です。かといって財政積極策の余地はないわけで,累積公的債務の水準の高さを考えれば多くの国で限界があり,日本では特にそうだという現状にあります。

 財政政策の規模と効果は比例しないといわれています。金融緩和の余地については様々の議論がありますが,通貨の信用に関わる話であり,これも当局の腰は重くなります。

 従って,この局面では,ミクロ面での成長促進策をどれだけ積み上げられるかにかかっています。様々な分野での規制改革や,対内投資の促進,税制面での企業活動への制約緩和の実施も強調したいと思います。

 経済の基本的な理解からすれば,企業活動と利益の関係についても疎かにしてはいけないと思います。「利益至上主義」が安全軽視とか金融危機の元凶になったという話をよく聞きますが,安全規制を順守しない企業に持続可能性はないわけで,利益を出しても短期しか続きません。短期利益主義というのならまだしも,利益追求と企業活動の大前提を対立概念で捉えている限り,なかなか本質に到達できないのではないかと思っています。

 日本の企業は,国際比較では長らく低利益率に甘んじてきたもの事実です。その意味では成長志向の経営努力が不足していたといわれても仕方がありません。日本にとって成長は贅沢財ではなく必需財です。成長がなければ,社会保障は維持できないし,雇用の拡大もありません。それを必要なところに賢く使っていくのですが,この「必要」がとても難しいということだと思います。

 震災後,経済に自律的な復活の芽が見えるようになってきています。震災直後のショックをしのいだ企業部門は将来見通しについて明るさが増し,設備投資も拡大傾向にあります。既存企業による投資ばかりでなく新規上場もやや増加しています。

 リーマンショックの後,あの米国でさえ政府がGMを救済したではないかと,日本でも経済界の政府頼りのスタンスが強くなった傾向がありましたが,震災後の政府の対応があまりにも頼りなかったので,民間企業は政府を頼らずに独自の成長を強めている姿勢が見えて,随分たくましいなと思っています。グローバルマネーもそれに注目し始めたのではないかと思います。

 思い切ったビジネスチャンスも生まれました。これまでの微温湯的な対応では危機後の経済状況を乗り切れないことが明確になったため,ついに抜本的な事業改革に乗り出し,成長のチャンスをつかもうとする企業も出てきています。資金や人材が民間部門で自律的に回り始め,経済成長率の高まりを通じて明るい展望が開けます。危機をきっかけにした民間部門の覚醒こそが,日本経済の希望だということを強調したいと思います。

2.日本のガバナンスの問題:情緒的メディアの問題も
 当たり前のことですが,問題は,問題と認識された時に初めて問題となります。顧客ニーズと商品のギャップ,組織内のコミュニケーションの悪さなど,企業の屋台骨を揺るがすような事態があっても,それを当事者たちが「問題である」と認識しなければ,危機感や行動は生まれません。

 我々の認識の違いは,価値観や生活感覚によっても違うし,世界は多様性に満ちています。何を問題としてとらえるかについては,大幅な自由度が存在します。そういうなかでの,新聞やテレビなどメディアの問題の捉え方は人々の問題意識に強い影響を及ぼします。

 メディアが変われば,物事が前に進むと思いますが,日本のガバナンス問題はメディアに課題がある場合が多いと思います。メディアは我々をうつす鏡だと言いますが,読者も批判眼を持つべきでしょう。

 私はこれまで,政府の委員会,審議会に何度か参加する機会がありましたが,あらゆるメディアが連日多くのスペースを割いて報道する会議もあるし,同じように大切だと思われる会議でも全くメディアの関心を引かないものもあり,その違いに驚かされました。

 一方で,メディアが本来の問題を過少にしか伝えない面もあります。例えば,グローバル化は我々の生活の一部になっているのに,海外の情報に特化しているページは,全体の中の数ページです。何十年も変わらないのは問題の捉え方として適切でしょうか。

 また,市民生活に大きな影響を及ぼす政策の変化はあらゆる人が興味をもつ事柄ですが,政治家同士が話しをしてどうだったかといった,いわゆる政局的なニュースはどれだけの国民が興味をもっているか疑問です。

 国家予算にしても,年中行事のように年末の予算時に大きな記事になりますが,そもそも予算の骨格は8月の概算要求で原型ができあがるので,それ以降,大枠に変化はないのです。このように恒例的な報道より,公金の使い道として決算や予算の執行を丁寧に報道するようにすべきだと思います。

 既成概念からの脱却という面では,何が「異例」で何が「順当」かも注意すべき事柄です。

 国会の「ねじれ」現象が出現したのは2007年でした。当時は「異例」という言葉が適切だったことは疑いのないことですが,ねじれ現象出現から4年も経っていてなお「異例」と表現するのに違和感を覚えます。

 もう一つは「順当」です。官庁や企業の人事報道で「順当な人事」という形で出てきます。その組織での主流的な見方や価値観を無意識のうちに肯定していることから出てくることが多いのではないかと思います。組織インサイダー的であるだけではなく,主観的でもあるので,そこで分析が終わり,その人事が持つ客観的な意味はわからないままです。

 日本の新聞や雑誌には,人物のプロフィールに必ず年齢が必ず記されます。年齢は必須情報として扱われますが,名前は仮名でもよいというのが疑問です。思うに,大企業や官庁がいまだに年次による昇進制度を固守している影響が大きいのかと考えたりします。

 ある現象を見て,何が新しいのか,何が変化しているのかを見極めるのは難しいことです。何が本当の変化なのかを見極めようとすれば,何が変わっていないのかが同時に見えてくるはずです。戦後続いた慣習を日本の伝統で動かし難いように言う論調にも時々出会いますが,どこまでが日本の本当の伝統で,何がここ数十年の短期的に起こったことに過ぎないかも見極めることが大事です。

 新聞記事には各種の統計数字,調査結果などがよく登場します。記事の根拠として説得力を高めることが目的ですが,数字の持つ威力は十分慎重に考える必要があります。読む人が物事を見極めることが重要です。

 私は,授業の中で,G8やG20のコミュニケ,欧米政府・中央銀行のステートメントを資料として使います。そんな時に,日本の新聞の報道と内容のニュアンスが違って戸惑うことがあります。先日もワシントンの会議を取材に行った記者に,「コミュニケは読んだのか」と尋ねましたら,「財務省のレクは聞きました」とのことでした。日本政府のブリーフィングだけに依存していては,世界に通用する報道の質は実現できないのではないかと懸念しています。

3.今の制度の中で個人ができること
 まず,たかだか50年しか続いていないことを文化や伝統のように言う人が多すぎます。「昔はよかった」ではなく,事実としての歴史を伝えていきたいと思います。

 次に,エンゼル税制のような制度もできているので,資産をどのように有効に使うかということが大きな問題です。若い人たちをエンカレッジすることも大切です。

 3つ目に,日本の企業,メディアのガバナンスの問題は客観性を欠いていると思います。客観性を欠いているのは多様性を欠いているからです。同じような考えの人たちだけで考え,行動しているから,なかなか客観的になり得ないのだと思います。女性・外国人・ハンディキャップのある人などを排除していないだろうか,狭量ではないだろうかと考え,心をオープンにしてもっと深い世界があるのではないかという心がけがあれば,日本の組織のガバナンスや経済の問題も解決していくように思います。