卓話


若きサンタの悩み 

2006年12月6日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

詩人
アーサー・ビナード氏 

 僕のところには,いろいろな「日本語の仕事」が舞いこんできます。僕はいつも,その仕事は「鳥無き里の蝙蝠」の類いかどうかを考えます。鳥のいない里では蝙蝠が高く評価されるという諺のように,僕は「日本語ができる米国人」として,いわば蝙蝠のような存在として,外に鳥がいないから頼まれたのか,それとも僕がいいから依頼がきたのか…。
  
 勿論,引き受けたからには,「僕でいい」という仕事であっても,最善を尽くして「僕がいい」に変えていきたいと思っています。実際のところは「で」と「が」の中間あたりで依頼される仕事が大半かもしれません。

 明らかに「鳥無き蝙蝠」タイプの仕事もあります。毎年12月に請け負っているサンタクロースの役は間違いなくそうです。僕が母国のアメリカに居たら,サンタ関係の仕事は,まず声がかかることはないと思います。サンタの仕事は,日本に比べて何倍も多いですが,それなりの条件が必要です。体つきがでっぷりとしている。ある程度,年もとっている。白髪で,髭は天然のものが望ましい。量感のある声,歯並びがよい,口臭の少ないことなども条件になっているらしいです。

 僕は,歯並びと口臭はクリアーできています。金春流の謡を少しやっているので,和風ながら腹の底からホッホッホッホーという声を出せるようになってきました。しかし肝心の恰幅が全くないし白髪でもありません。髭をどうのばしてもサンタの髭にはなりません。  

 僕が生まれ育ったデトロイトでは,12月になるとデパートやショッピングモールにサンタのコーナーが設けられます。大きなビロード張りの椅子に,でっぷりした,いかにもサンタクロースといったおじさんが白と赤の衣装を着て座っています。子供たちは,順々にサンタのひざの上にのせてもらって「今年はいい子だったかい」などと会話しながら,サンタがプレゼントの要望を聞き出します。すぐ側で親がそれを聞き取るという段取りです。

 僕の子供の頃,あるデパートで働いていたサンタさんは絵に描いたような見事な髭を蓄えていて,町の評判になっていました。本物のサンタがいるとしたらあのおじいさんに違いないと,子供たちがささやいたものでした。

 さて,やせこけた僕が23歳の時に,サンタクロースになったきっかけはお習字でした。90年6月に来日して,9月に住まいのすぐ近所にある習字教室に入り,「いろは」からのお習字をやりだしました。

 教室の生徒は,みんな小学生で,仲間に入れてもらえるかを心配したのですが,特別扱いをしないというポリシーの先生の明るい笑顔のお陰で,すんなりと仲間入りができました。2回目からは,子供たちも僕を気にしないし,僕も留美ちゃんという幼稚園児の隣に座ってお習字をしました。

 留美ちゃんの方が断然いい字を書いているということが励みになりました。結局,その教室には今も通い続けています。留美ちゃんも今は大学生になっています。

 9月からお習字を始めて11月の最後のお稽古の時に,留美ちゃんのお母さんがみえて,僕にお願いがあると言うのです。

 隣の部屋に招かれて,子供たちに聞こえないような低い声で「たんぽぽクリスマス会」の話を切りだしました。…毎年,池袋図書館の2階で開かれ,人形劇と短い映画上映があり,その後にクライマックスとして,サンタさんの登場がある。しかし,サンタを児童館の先生がやるとバレるし,図書館のおじさんがやっても,子供たちはなかなか信じてくれない。もし本場のサンタが来てくれれば,とても盛り上がると思う…。そんな訳で,筆をもつ米国人に白羽の矢が立ったのです。僕は詳細も聞かずにうなずいてしまいました。

 当日,日本語学校を12時に終えた僕は,少しでも恰幅が出るようにと昼飯には天丼を食べ,いったんアパートに戻って「ジングルベル」の練習をして開演直後をねらって2時半ごろ図書館に入りました。貸し出し担当の女性が2階の物置兼控室に僕を案内してくれました。赤と白の帽子,赤一色のズボン,黒いベルトと長靴に着替えて,ゴムバンドでとめる白い髭で扮装しました。鏡で己の姿を見ました。見れば見るほど,じわじわと不安が込み上げてきました。こんな若造の付け髭のフェイクサンタを,だれが相手にするか…。

 子供たちに笑われるだけだと,冷や汗をかいたまま,司会者の「サンタさん,どうぞ」の合図で,おっかなびっくりで入場すると50人ぐらいの幼稚園児から一斉に「おおっ!」という驚嘆の声がわきました。

 「外国人のサンタ!」とか「ホンモノ」と面食らっています。信じているというオーラに包まれて,こっちも調子が出て「ジングルベル」を大声で歌って,その勢いで,妙に陽気な「サイレントナイト」もやらかしたうえで,ホーホーホー!と図書館員の手製のプレゼントをみんなに配りました。…後で聞いたら留美ちゃんは疑っていたらしいです。毎週のように,側に座ってお習字を習っていたわけですから…。

 盛会のうちに会が終わり,みんなでクリスマスケーキを食べて,スタッフから「来年もまた是非」と言われて「はい,喜んで…」と返事をしました。それから16年経ちました。今年も12月の15日の土曜日に池袋図書館でやります。今度で17回目です。

 2回目からは,司会のお姉さんとインタビューをやるコーナーが加えられました。4回目から「サンタにききたい」という質疑応答コーナーに変わりました。今はそれがいちばん盛り上がる山場になっています。

 すばらしい質問が出ます。「どこに住んでいるの?」とか「どうして,プレゼントをそんにいっぱい運べるのだ?」という質問はいつも聞かれます。「サンタさんはおふろに入りますか?」とか「今日は何を食べましたか?」などといった質問にはありのままに答えます。よくある,「僕の手紙は着いた?」という質問はごまかすしかありません。

 池袋の子供たちだから駐停車に敏感なのか…「そりはどこに停めたの?」という質問には,子供達たちが比較的知っている場所でありながらも,終わったらすぐに行けるという場所は避けて答えなければなりません。

 「トナカイはどうしてかわいいの?」という問いには「トナカイの角をよく見ると,桃の皮のような,やわらかい産毛が生えていて,それがとってもかわいいんだ」と答えました。
「たんぽぽクリスマス会」が終われば,もう満足だと思う僕になってきましたけれども,7回目の会が終わった後,駅まで行って,ケンタッキー北口店の前を通ったとき,カーネルサンダースに出くわしました。僕がさっきまで着ていた衣装をばっちりと決めているのを見て,もうやめようかなと思いました。

 子供たちを楽しませよう,子供たちと一緒に楽しもうと思ってやっていることが,子供たちをねらう大企業のコマーシャリズムの片棒を担いでいるように思えてきて,急に後ろめたくなったのです。

 そもそも「サンタクロース」は聖ニコラスという,4世紀のトルコで司教を努めた人のニックネームです。中世のカソリック教でも子供や学生の守護聖人とあがめられた人物です。そんなニコラスがクリスマスと結び付けられたのは,産業革命の頃らしいのです。現在のでっぷりしたサンタ像ができたのは1931年です。それはコカコーラ社の公式商標の色である赤と白に合わせて,サンドブロムという画家が冬のキャンペーンのイメージキャラクターとして作ったものでした。

 その経緯をなんとなく知っていた自分が,そのイメージキャラクターに扮してもいいものだろうかと迷いが強くなりました。

 何日かして,僕は,自分の迷いを払うために,部屋の本棚をあさって,1939年に出版された小熊秀雄という詩人の長編叙事詩『飛ぶ橇(そり)』を見つけました。『飛ぶ橇』の主人公はアイヌ人の「イクバシュイ」日本名は「四辻権太郎」です。白くはないが豊かな髭を蓄えて,橇はトナカイではなく十数匹の犬です。権太郎の世界観は環境とともに生きるものです。犬たちとの関係や,若い山林官を助ける権太郎の心は,まさに本来のサンタの姿であり,威厳と大きな優しさを抱えた人物はサンタそのものです。僕にとって,これこそがサンタ・カーネルに対する解毒剤です。

 僕は子供たちに毎年「本物のサンタ」といわれています。本物のサンタが居るとしたら四辻権太郎のような人物ではないかと考え,以来,役作りは『飛ぶ橇』の再読から始めます。それから,少し謡の稽古を重ねて,腹から出る声をつくって,そうして,クリスマス会に望むということを繰り返しています。

 17回目の今回も,衣装が赤と白でも,僕の心はイクバシュイ色です。「サンタにききたい」も権太郎の気持ちで答えたいと思っています。