卓話


21世紀のアジアと日本 

2007年9月26日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

元アジア開発銀行 総裁 
(株)野村総合研究所 
顧問 千野忠男氏 

 最初に「21世紀はアジアの世紀」になるということから話を始めます。

 第二次大戦後,日本の急速な発展がエンジンとなり,次々とアジアの国々が目覚ましい発展を遂げました。

 日本との貿易の拡大,50年あまりにわたる日本のODA,日本企業の特にプラザ合意以降の積極的な直接投資がアジアの急速な発展を促しました。

 1960年頃の,世界全体のGDPに占める日本を含むアジアの割合は約12%でした。これが2000年には25%に増加しました。購買力平価ベースでは3割を越えています。戦後,このアジアの発展をリードしたのは日本です。

 多くのアジア諸国は,まだキャッチ・アップの段階にありますし,アジア金融危機から貴重な教訓を学び経済の弱点を克服してきました。アジアは世界の他の地域に比べて今後も比較的高い成長を続けていくと思います。

 アジアの人口の比率は,世界の6割まで増大しましたが,この比率はさらに増大するでしょう。また貧困削減が他の地域より成功裡に進んできたことを考えると,21世紀の半ば過ぎには,アジアの経済規模が世界の半分程度に近づくこともあり得ると思います。
 
 アジアの繁栄は歴史上初めてのことではありません。15世紀から18世紀,特に16〜17世紀においても,アジアは世界経済の中心でした。16〜17世紀初めにかけての日本は室町時代の末期から安土桃山の時代で,世界の1、2を争う金銀の生産国でした。

 平成19年7月にユネスコの世界遺産登録が決まった島根県の石見銀山は,16世紀前半から17世紀はじめにかけて最も栄え、最盛期はこの銀山だけで世界の銀の生産高の3分の1に及び,中国(明)、ポルトガル、イギリス等に輸出され,金銀による経済力で、日本文化が大いに栄えました。しかし産業革命後、アジアの大部分が植民地化され、世界経済の中心は、19世紀のはじめ頃に,アジアから西に向かってイギリスに移り,20世紀の初めにはアメリカに移りました。

 20世紀後半以降、日本に始まるアジアの躍進に伴って、世界経済の中心は,アメリカから少しずつ西に移動し始め、ちょうど2百年で地球を西に一回りして、再びアジアに戻りつつあると考えてもいいと思います。

 アジアの経済力が増大してきますと,それに伴って,徐々にアジアの発言力が強まります。それに続いて,アジアの文化,アジアのものの考え方が,より広く世界に通用していき受容されます。世界の中でのアジアのプレゼンスと同時に,責任が大きく重くなっていきます。これが「21世紀はアジアの世紀になる」ということの意味であります。

 アジアがこのような責任を認識し,責任を果たすことに慣れてくるまでの間,アジア唯一の成熟した先進大国である日本の,他のアジア諸国に対する助言,誘導,サポートの役割は非常に大きいと思います。

 次に,「元気なアジア諸国」について話したいと思います。
1.シンガポール
この国の一人当たりの所得は2万8千ドル。アジアでは日本に次ぎ,香港と並ぶ豊かな国です。しかし,人々は,自己満足というものが全くなく,常に危機感,緊張感をもって国の行方を考えています。

 シンガポールの人たちと個人的に話しますと「中国,インドという大国が目覚めてしまった。彼らが本気を出したら,我々はひとたまりもない」と言います。「石油,石炭,食糧などの資源が全くない。水さえもマレーシアから輸入している」と言います。

 「この国は小国だから何もしないでいるとダメになる。しっかりしないと貧困に戻ってしまう」と国の生きる道を真剣に考えています。

 そこから「世界のBest practiceを取り入れよう」「迅速果敢にやろう」という行動パターンが出てきます。

 シンガポールの国家戦略は,積極的な海外企業の誘致による経済の活性化であり,また
金融ハブ,航空ハブ,教育ハブ,メディカルハブとなることを目指しています。

 多くの国々では,労働法の規制や組合の力によって,労働者のリストラは困難ですが,シンガポールでは「One month notice, three months salary」でリストラできると聞きます。善し悪しの議論は別にして,外資が入りやすい一因だといわれています。

 法人税はこれまで一律20%。地方税はありません。日本の法人税の実効税率40%の半分ですが,2007年7月から,さらに引き下げ18%にしました。香港の17.5%に対抗して,企業誘致のための競争的環境を維持する姿勢を表したものであります。

 同時に7月から消費税を5%から7%に引き上げ,差し引き若干の年間増収としました。相続税,贈与税,キヤピタルゲイン課税はないと聞いています。投資についてのルールの透明性,政治の安定が確保された国です。

 国語はマレーシア語ですが,国際競争に勝ち抜くには英語は不可欠な道具だとして,学校の授業は小学校から大学まで,すべて英語で行われています。

 シンガポールの人たちは,常に国際競争を意識していますので,人口4百50万人,面積は日本の東京23区並みという小国でありながら,アジアの中,世界の中でかなり大きな存在感をもっています。また一人当たり2万8千ドルの高額所得国でありながら,GDPの成長率も,8%前後の高さを維持しています。

 2.中国 
2003年から毎年連続で年率10%を越す経済成長です。今年2007年は11.2%と,ADBは見込んでいます。

 GDP規模は2004年にフランスを抜き,2005年にイギリスを抜き,米・日・独・中の順で,中国は世界で4番目の経済規模となりましたが,今年2007年はドイツを抜いて,米・日・中の3位になる可能性があります。

 当面の大きな課題は,景気過熱を抑えることです。多くの論者が「景気過熱が収まらないと大変だ」と言っていますが,1889〜90年及び90年代の後半,過熱を抑えた経験がありますし,諸外国の政策も研究し尽しており,抑え方はよく分かっています。

 今後の中長期の見通しですが,1980年代に本格的な実施に移った一人っ子政策の影響で,労働人口の伸びが鈍化し,また高齢化により貯蓄率が下がるので,潜在成長率も若干低下してゆくと思われますが,それでも,2020年頃までは,7%の成長は可能と思います。

 2050年を待たずに米国と並ぶ経済大国になるとの見方もあります。しかし,そのような可能性を実現するためには, 
 1)まず深刻な格差問題を解決し,社会的,政治的安定を維持することが必要です。所得格差は,なお拡大しています。所得格差だけではなく,都市戸籍を持たない農村からの出稼ぎ者やその家族は医療も教育も受けられない状態です。このような格差の拡大を防ぎ,是正する努力が不可欠です。

 2)環境破壊や資源の制約への対応が必要で,そのためにも資源節約型の経済構造へ転換を図ることが求められています。

 3)市場が必要ですが,急速に増加している輸出が貿易摩擦を生じている現状を考えると,内需拡大による成長を基本としなければなりません。

 4)投資の効率向上。そのためには,金融,証券市場などの改革により,マーケット・メカニズムがより良く働くようにして,資金の効率配分を図ることが必要です。

 5)人的資本の向上。

 6)「投入量の拡大」による成長から「生産性向上による成長」への転換が必要です。

 これらのことは,私がいつも中国の友人たちに申し上げていることでありますし,政府もこのあたりのことは十分分かっていることではありますが,いずれも容易な課題ではありません。これらの解決のためには,豊かな経験と技術,ノーハウをもった先進国日本の協力が望ましいと思います。

 「中国は民主化要求への対応の失敗や拡大する格差への反発で,国が分裂したり崩壊したりするのではないか」といったリスクを指摘する向きもありますが,中国の不安定化や分裂,崩壊といった事態が万一にも起これば,何十年前ならいざ知らず,グローバライズした世界経済の中で,特に日中経済関係がアジアの高度な生産分業ネットワークの主軸を成している今日では,日本のためになりません。他のアジア諸国のためにもなりません。

 特に,中国は今や,米国を抜いて,日本にとっての最大の貿易相手国ですから,日本の打撃は大きいと思います。

 隣国である中国の安定的発展が日本の国益にも合致します。日本は,中国の安定的発展のための必要な協力は,できる時に,積極的にやるべきです。それが日本のためになると思います。そのうえで,年々強大化する中国とどう付き合うかが問われているのだと考えます。

 3.インド
 インド政府の発表によると,2006年度のGDPは9.4%増で,実額で初めて1兆ドルを突破したとのことです。政府は今後5年間で,平均9%の成長を目指しています。

 インドの近年の高成長は,現在のマンモハン・シン首相が,かつて蔵相に就任した1991年に,経済危機に対応して開始した経済改革の成果の現れです。あの経済危機の折,インドはソ連側の国だという意識からか,先進諸国から「インドを助けよう」という声がなかなか出てこず,日本が対インド支援をリードしたのです。

 それから13年,マンモハン・シン氏が首相に就任された折にお目にかかった際,「あの1991年の危機の時,ドシャ降りのときにインドに傘を差しかけてくれたのは日本でした。あの時の感謝の気持ちは今も変わりません」と言われたのに大変感銘を受けました。

 インドのIT産業は有名ですが,今後,インドにとっては大きな雇用機会を創出する製造業の発展が最大の課題であり,そのためには,一層の規制緩和による海外からの直接投資の誘致と,インフラ整備が必要です。

 インド政府もよくその点を理解しております。日本も交通インフラなどの支援に力を入れているのは大変結構なことと思います。

 嬉しいことに,これまで大都市中心だったインドの好況が,今や,政府主導のインフラ整備や金融,IT分野の企業誘致によって,地方や農村にも投資が入り,活性化し始めました。インドは将来が楽しみな人口大国,民主大国,技術大国であり,日本にとって大切な国であると思います。

4.中央アジア諸国
9月第1週に中央アジアに行き旧友たちに会ってきました。中央アジア諸国は,1991年にソ連から独立以来,アジアの仲間として日本に対して熱いまなざしを向けてきました。日本はこの熱いまなざしに応えていかねばなりません。

 しかし,最近の日本は必ずしも十分に応えていなかったように思います。その結果,これらの国は,他の国々への傾斜を強めています。長期の戦略と情(じょう)と思いやりをもった継続的なEngagementが必要です。さもないと中央アジアは他の国々への傾斜を一層強めていかざるを得ないでしょう。

中央アジアについては,石油,ガス,ウラン鉱などのエネルギー資源の獲得のために関係を強化するということは無論大切ですが,日本へ熱いまなざしを向けてきたアジアの友邦の思いに応えるという誠意が大切です。 日本の誠意ある長期的コミットメントとEngagementがあれば,中央アジアは政治的に安定し,経済的に大きく発展する可能性があると思います。

最後に,日本は特にアジアにおいて,戦後60年営々と築き上げてきた,名誉ある地位を如何に維持するかということについてです。

日本は,アジアの激動の中にあっても引き続き頼りにされる,一目置かれる存在であり続けなければなりません。

そのために為すべきことは多くあります。知育,徳育の両面にわたる教育の質の向上。創造性の強化のためのインセンティブづくり。高い技術水準の維持向上−これは,主要諸国との激烈な技術力強化の競争や科学技術関係予算の競争をも意味します。日本を,内外のヒトと企業と資本にとって,今の何倍も魅力ある国にするための具体策の実行。

 欧米も中国も積極的に対外経済協力予算を増加しているときに,日本はODAを10年連続で減額してきました。これで本当によいのでしょうか。隣国が防衛予算を19年連続で2桁増を続けている時に,日本は防衛予算を5年連続で対前年減額としてきました。これはあるべき姿なのかどうか。アジアの安定と平和のために,真剣な対応と議論が必要です。

 最も大切なことは,徳と風格を備えた日本及び日本人の形成です。やるべきことは多いし,時間のかかる事項が多いのですが,しかし,時間はそれほど残されていません。これらの早急な対応が不可欠です。

 アジアへのスタンスはどうあるべきか。日本は長年アジアの発展を支えてきました。アジア危機の際,日本は巨額の財政赤字にもかかわらず,困っているアジアの国々を放っておけず,宮沢構想に基づいて,積極的に財政支援をしました。このような長年にわたる地道な貢献が,日本に対するアジア諸国の信頼感を醸成してきました。

 今後とも日本は,中国であれ,他のアジア諸国であれ,必要とされる折には,できる限りの支援をすべきです。よく言われる省エネや環境関連技術の供与も勿論大切ですが,特に中国など人口大国の食糧自給能力の向上に協力することは世界的に重要な貢献になります。世界的な水不足に対する対応も同様です。金融資本市場の発展を支援することも,苦労を経験してきた日本だからこそできることがあります。先進国日本の知的貢献へのアジア諸国の期待には,予想以上の強いものがあります。「日・アセアンEPA」のようにアジア各国との連携を強化し合う動きには積極的に参加するほか,東アジア共同体構想など,アジア各国が深い関心をもつ事柄には積極的に議論に参加して,日本の国益はもとより,アジア全体の利益に合致した方向にもっていくよう,一緒に汗をかく必要があります。アジアの発展を助け,発展するアジアと共に日本も発展していくことが,日本のとるべき道であると思います。そのためには,アジアの国々を支援できるだけの経済力,財政力,技術力,経験力と深い知恵を維持・培養し続けなければなりません。

 21世紀は,明らかにアジアの世紀になります。その流れを作ったのは日本です。そういうアジアの世紀を作ってきた日本がせっかく大きく育ち始めたアジアから孤立して離れるという愚かな選択はあり得ません。

 人口減少が始まった日本,人口減少そのものが成長率低下要因であり,国内マーケット縮小要因です。これを相殺するためには,一人当たり生産性の向上に加えて,新たな市場の創出,拡大が必要であり,成長するアジアとの連携強化,アジアと共通の繁栄の基盤の構築が不可欠です。アジアに軸足を置いて,アジアの一層の発展に汗を流し続ける中にこそ,日本の活路が開けてきます。日本の未来はアジアとの共生の中にあります。

 同時に,アメリカ,ヨーロッパの先進国との関係の維持・強化にも最大限の努力を払うことが必要です。日本はアジアの国ではありますが,先進諸国から信頼されるG7の有力国であり,世界の大国だからです。

 最近,世界の枠組みが変わりつつあり,新しいプレーヤーが次々に登場します。日本は,古代から「和を以て貴しとする」平和愛好国であり,多くの国々と,友好,協力,互恵の関係を希求してきました。今後とも世界中の国々と協力していくべきと思いますが,常に「アジア重視」と「欧米との協調」を基本とすべきだと思います。