卓話


私がここにいるふしぎ−生命誌の視点から

2010年7月28日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

JT生命誌研究館
館長 中村桂子氏

 私が生きものについて考える時の基本にしているのが「生命誌絵巻」です。多様な生きものが長い時間の中で誕生した様子を描き,それを橋本律子さんに美しくしていただきました。

 扇には,さまざまな生きものが描かれています。右の縁にはバクテリアがおります。微生物,菌類,植物,動物と描かれ,左縁には人間もいます。

 扇の「要」は,地球上に生命体が誕生したとされる38億年前を表しています。以来,多様な生物が生まれ,現在のような豊かな生物界を作ってきました。生きものの世界を見ていて強く思うのは多様性と,絶えることなく続いてきたということです。

 地球というすばらしい星に暮らすいろいろな生きものの中に私たちはいるのだと実感できるのが「生命誌絵巻」です。

 「生命誌絵巻」に描かれている生きものは何種類いるか。これまでに名前をつけられた生きものは170万種類です。しかし,熱帯雨林などを調べますと,知らない生きもの,とくに昆虫が多数おります。そこで,少なくとも数千万種はいるだろうと考えられています。

 つまり,名前がついていない生きものが97%で,名前をつけたのは3%という程,生きもののことはまだ分かっていないのです。

 私は,よく子どもたちに「新種を見つけることは,いくらでもできますよ」と言っています。新種を見つけると自分の名前を冠して命名することができますので,そんな楽しみもあると思います。

 生物の多様性条約第10回締結国会議(COP10)が今年の10月に名古屋で開かれます。いろいろな生物の生息環境を最大限に保全し生物資源を持続的に利用することは大切なことです。人間を見ても一人として同じ人はいません。生きものには一つとして同じものがいないという多様性は大事です。しかし一方,すべての生きものは細胞でできています。しかも,その細胞にはDNAがはいっていて,全く同じ働きをしています。このような共通性に注目することも重要です。

 例えば「生命誌絵巻」の,右端縁上にいるバクテリアも左端縁上にいる人間も,糖分をエネルギー源として生きています。どんな生きものも体内で酵素が働いて糖分からエネルギーを作ります。その酵素は,バクテリアも人間も基本的に同じです。ですから,「いろいろあるね」ということを大切にする一方で,「基本は同じだね」と考えることが,本当に「生きものを考える」ことになるのです。

 「同じだね」の意味は,地球上のあらゆる生物が「生命誌絵巻」の扇の要の部分を共有しているということです。ここは38億年前,38億年前に海の中で,祖先の細胞が生まれました。

 今いる生きものたちは,すべてそこから進化してきたのですからどの生きものも38億年の歴史を背負って生きています。現在のバクテリアは,発生以来,38億年の間,バクテリアとして進化に進化を重ね,上手に生きてきたわけです。

 「生命誌絵巻」で言いたいことは,「すべての生きものが38億年を生きている」,「どの生きものも大事で優劣はない」「その中に人間もいる」ということです。

 生きものにとって大事なことの一つは「時間」です。時間が生きものを作ります。生きることは時間を使う過程です。

 もう一つは.お互いの「関係」です。「生命誌絵巻」に描かれた生きもので,たった一つで生きていける生きものはどこにもいません。

 現代社会は「効率」を求めました。それは時間を削減することでした。しかし,生きものは「効率よく」生きることはできません。人間でいうなら1歳,2歳,3歳と順に年を重ねることが重要で,年齢を飛ばすわけにはいきません。そこが機械と違うところです。

 現代社会は,何事も効率で評価し,機械化を奨励します。そこで,例えば,農業などは「効率が上がらないから」といって敬遠する傾向があります。生きものに関わっている人間から言うと「生きものは生きもの,機械は機械」という考え方で社会を組み立てていただきたいというのが願望です。

 特に子どもの教育などは,時間がかかっても「生きものにとっての時間と関係の重要性」という観点がほしいと思います。

 今の子どもたちは,自然の中で遊ぶという経験は少なくなりました。そこで,私がお手伝いした「小学校での農業学習」の話をいたします。

 福島県喜多方市で,4年前から3校,次の年は9校,そして今年から全市の小学校で農業科の時間を設けての実践が行われました。4年間,喜多方市の子どもたちと交流して,その変化に驚いています。私はその変化を「喜多方の子どもたちに生きる力がついた」と言っています。

 まず,子どもたちは,どの子もすばらしい笑顔の持ち主になりました。とてもいい笑顔です。2番めに,子どもたちに交渉能力がつきました。今の先生方は農業を知りません。児童たちも勿論知りません。そこで地域のお年寄りが頼りです。そのお年寄りに,いろいろとお願いして教えてもらいます。子どもたちはお願いの仕方がとても上手になりました。

 こうして,子どもたちは自分たちができないことを教えてくれるおじいさんを心から尊敬します。一方,地域の方々は子どもたちに頼りにされるので,とても元気になりました。

 子どもが大人を尊敬する。大人はとても元気になる関係が出来上がりました。

 3番めの効果は,児童に作文を書いてもらったのですがすばらしい表現力です。農業の実践について書いてもらったり,発表したりしているうちに作文がとても上手になりました。

 今の大学の学生たち,エリートといわれる若者たちに欠けている「笑顔・交渉力・表現能力」を見事に持っています。

 兵庫県の豊岡市では「コウノトリにやさしくしよう」という活動を子どもたちが始めました。コウノトリにやさしくするためには,いつも,どじょうなどがいる田圃を作らねばなりません。そのためには川から田圃に続く魚道を作る必要があります。

 一つの田圃に魚道を作るには30万円の工費がかかるそうです。自分たちのお小遣いを集めてもどうにもなりません。そこで,森林組合に交渉することになりました。森林組合は積極的に協力して立派な魚道ができました。

 コウノトリを育てるための田圃にも立派なお米が採れました。それは「コウノトリ育む米」というブランド米で高いのです。そこで,市長さんらに「給食用に買ってください」と交渉しました。今期は子どもたちが作ったお米で学校給食をしています。

 子どもたちは,味をしめて,コンビニとも交渉したのですが,この程度の収量ではコンビニを支えることはできないということで見事に失敗しました。しかし,その時のプレゼンテーションはとても見事なものでした。

 このような実践で,子どもたちの生きものを見る目が育ちます。このような活動を日本全体でも是非考えていただきたいと思っています。

 生きものは,38億年間続いてきて,これからも続いていくのですが,生きものは,最初の33億年は海の中にいました。生きものには水が不可欠だからです。ところが今から5億年前に大陸ができ,浅瀬ができ,そこから生きものたちが陸に上がりました。そして,暮らしにくいところに上陸した後に,非常な多様化が起きたのです。現在の多様な生態系はこうしてでき上がりました。

 実は,この5億年間に,生きものは5回もの絶滅を体験しています。

 6千万年前には隕石が落ちてきて恐竜が絶滅しました。2億5千年前には,地球のマグマが大噴火して90%以上の生物種は絶滅しました。そのような出来事が5回もあったことが化石などの分析から分かっています。

 それぞれの厳しい出来事の後,生きものはまた急速に進化して多様化が進んでいます。生きものは厳しい条件の元でも,したたかな力をもって生きています。

 そういう力を信じて,その力をどうやって活かしていくかを考えることが大事です。

 共生という考えは大事ですが,一つとして「仲良く生きようね」と言っている生きものはありません。全部が厳しい中で懸命に生きています。その結果,共生することが最も生きやすいからそうなっているのです。

 生きものには,厳しい中で上手に生きるストラテジーがあります。単に,美しい緑を持った生物ととらえないで,生きものの持っている能力を,技術にも経済にも活かすという考え方をしていきたいと思っています。