卓話


農業ビッグバンとTPP-自由貿易が日本農業を救う

2011年3月30日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

一般財団法人キャノングローバル戦略研究所 研究主幹 
農学博士
山下 一仁氏

 現今の日本農業の問題は,65歳以上の高齢農業者が6割になっていること,耕作放棄が埼玉県に匹敵するほどに拡大していること、そして食料安全保障に不可欠な農地の減少です。

 1961年に609万ヘクタールあった農地面積は,公共事業で105万ヘクタールを造成して増やし,714万ヘクタールになっているはずです。ところが今,459万ヘクタールしかありません。250万ヘクタールが耕作放棄と転用で消滅してしまったのです。1984年に11兆7千億円あった生産額は,2009年には8兆円に下がっています。

 農業保護指標であるOECDのPSE(Producer Support Estimate)の数値は,アメリカ293億ドル,EU1,380億ドル,日本407億ドルです。

 PSEの数値は,消費者負担+納税者負担(財政での負担)で構成されています。日本の農業保護については,保護額そのものは経済や人口規模を勘案するとEUと同じくらいですが、消費者負担と財政負担の構成比に特徴があります。日本の農業保護額の9割は消費者負担によって構成されています。つまり,日本の農業保護は高い価額を消費者に払わせることによって農家を保護しているといえます。アメリカもEUも,直接支払いという,財政で農業を保護する方向に転換する度合いを高めていますが,日本は変わることなく,消費者負担で農業を保護してきました。

 関税がゼロであれば,消費者は国際価額で購入できます。ところが,高い関税を設定することで国際市場から国内市場を隔離すると,消費者は高い価額を国内の農産物に対して払うことになります。消費者は高い価格を払うことによって,農業者に所得を移転しているのです。

 日本の関税は低いという主張があります。「韓国の62%,EUの20%に対して,日本の平均関税率は12%だ。これだけ低いのだから,相当な自由化といっていい。いまさらTPPに加わる必要もない」という意見です。

 ところが,この12%という数字には,実はコメ(778%)の数値は入っていません。さらに,100%以上の関税品目が農産品のなかで13%もあり,それらが加算されていないのが実態です。

 もう一つおかしい話は,「農業産出額に占める農業予算額の割合が,日本はたった27%でアメリカよりも少ない」という意見です。先ほどからお話ししているように,日本では,消費者負担で農家を保護していますから,予算額(財政負担額)のシェアが低いのは当たり前です。実際に,価額支持も入れた保護額では,アメリカの15%に対して日本は55%と高くなります。

 ではどうして,このような消費者負担による農家保護政策が出来上がってしまったのかを紐解いてみたいと思います。

 1961年の農業基本法は,東大の農業経済学者,東畑精一氏と農林省出身の小倉武一氏の両氏が立案しました。

 かつての日本で,戦後の一時期は,食料品価格の高騰で農家所得が勤労者所得を上回っていました。それが落ち着いてくると,今度は勤労者所得が農業所得を上回るようになりました。そこで,農業基本法を作り,農業と工業の間の所得の不均衡を是正しようとしました。

所得=売上高(価額×生産量)−コスト
誰もが知っている経済学の等式です。所得を上げようとすれば,価格,生産量(売上高)を上げるか,コストを下げればよいのです。

 当時の農業生産額の半分は米でした。食生活の洋風化によって米の消費量は減ると見通した政府は,米生産から,酪農,肉用牛生産,養豚,野菜,果樹などに転換することで,農業全体の所得を上げようとしました。

 この政策は,ある程度成功したと思います。しかし,米作所得の向上もなおざりにはできません。米そのものの売上高は食生活の洋風化で減退しますから,所得の向上のため残る要因はコストを下げることだけです。農業でも規模を拡大するにつれてコストは下がります。つまり構造改革を進めて規模を拡大することが,農業基本法が考えた「美しい経済学」であったのです。

 ところが実際の農政は,60年代に米価を上げました。米は過剰となり,40年間も減反を続ける結果となりました。

 米価が高くなった結果,高い米を買うより自ら作る方が得なので,コストの高い零細農家が滞留してしまいました。零細農家から専業農家に農地を提供してくれなければ,規模拡大も実現しません。結局,コストも下がらないという悪循環になりました。

 農産物のコストは,耕地面積当たりの収穫量を増やせば下がります。ところが国内消費量が一定なら,耕地面積当たりの収穫量を増加させると必要な水田面積は徐々に縮小していきます。減反に対しては補助金を出していますから,耕地面積当たりの収穫量を向上させると減反面積が増えて,補助金を増やさざるをえない。したがって,耕地面積当たりの収穫量を増加するための品種改良はタブーになってしまいました。

 しかし,逆に見ると,日本の農産,特に米の生産コストは政策によって歪められたものですから,間違った政策を除去してやれば,いろいろなポテンシャルが出てくるはずです。

 日本の農業には競争力がないから保護が必要だという主張があります。日本の農業規模が小さく,日本の農家一戸当たりの農地面積を1とすれば,アメリカは100倍,オーストラリアは1902倍,EUは9倍だと言います。

 もしこの議論が正しければ,アメリカはオーストラリアの20分の1しかないことになります。このことだけで,面積の比較はあまり意味がないことが分かります。

 それは何故か。作っているものがまるで違うからです。オーストラリアは基本的には牧草地帯です。アメリカは小麦,トウモロコシが主体です。日本は米の農業です。

 実際に米の値段はどうなっているか。国内の米価は10年前に比べて30%程低下しています。消費が減少していますから,いくら減反しても追いつきません。これに対して,中国から買っている米の価格は10年間で3倍になりました。今では価格差は30%以下に縮小しました。

 それでは将来どういうことが起こるのかを考えてみましょう。
 農業も高齢化と少子化の影響を受けます。一人当たりの米消費量は過去40年で半減しました。さらに高齢化で一人当たりの消費量が減る上に,人口も減少します。今まで高い関税で国内市場を守ってきましたが,市場がどんどん縮小していきます。これまでのように国内の市場を守るだけでは,日本の農業は縮小せざるをえないことになります。

 このような状況のなかで,農業を発展させるには何が必要でしょう。それは外国の市場を獲得することです。その為には,外国の関税率は低いほうがよいのは当然のことです。日本の農業を振興するためには,外国の関税率を下げるための貿易自由化交渉に積極的に対応していかねばならないということです。
人口減少時代には,自由貿易こそが,農業の食料安全保障のために必要となるのです。

 もちろん,日本の農産物価格,特に米価を下げることが必要です。そのためには何をすべきでしょうか?

 食管制度で高い米価で農家を保護してきた時代は,米価が高いので兼業農家は農地を離しません。従って,主要農家は規模拡大ができませんでした。ところが今は,米価は10年間で30%も下がっていますから,兼業農家は農地を出してきています。しかし主要農家も,米価低下によって地代負担能力が下がっていて引き取れない。こうして農地の耕作放棄が生まれます。現在,耕作放棄地面積は約39万ヘクタール,埼玉県全体の面積に等しい広さです。

 米価が下がって兼業農家が農地を出してくるという状態は悪くありません。ここで減反を廃止して,さらに米価を下げていけば零細兼業農家は農地を出してきます。

 加えて,直接支払いで主要農家の地代負担能力を上げれば,農家規模が拡大し,コストは下がります。

 私が主張していることは,米価が高い程,利益が上がる人たちや団体には受け入れてもらえません。主要農家の方々が,小農といわれる兼業農家より収入が低いのが実情です。貧しい主要農家の人たちに直接支払いをすることは,所得分配の再配分という点からも,優れています。

 今回の震災で,農業の構造改革やTPPの議論が少し後退していますが,日本が震災だからといって世界は待ってくれません。震災をきっかけとして,本格的な農業の再編成をすれば,さらに農業を強くすることができると思います。

 財源の問題がありますが,民主党政権の「戸別所得補償」はすべての米農家に支払われる政策です。これを,対象農家を限定した直接支払いという政策にすれば,さらに財源を捻出できます。それによって農業の構造改革も進みます。

 これからの人口減少時代には,自由貿易こそが食料安全保障の基礎になります。これからは農業を保護するかどうかが問題ではなく,どういう方法で保護するのかが問題なのです。直接支払いか価額支持か,どちらの政策をとるかが問題なのです。

 座して農業の衰退を待つより,直接支払いによる構造改革に賭けるべきではないか,ということです。そのときこそ,農商務省に法学士として入った柳田國男から農業基本法を作った小倉武一まで,日本農業の零細構造の克服にかけた人たちの夢をかなえることができるはずです。