卓話


日本人の性格と教育・健康 

2006年11月29日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

女子栄養大学 副学長
香川靖雄氏 

 本日は、日本人と欧米人の遺伝子の相違から教育・健康について述べさせて頂きます。最近のグローバル化で、日本人に欧米の教育や食事が取り入れられていますが、教育にも健康にも大きな問題が起こっています。

 9月6日の卓話でフランス・ヘンドリックス氏も「西洋の考えで日本の教育をすれば失敗します。日本の伝統を土台にする必要があります」と述べておられます。この問題の核心は日本の伝統文化が日本人の遺伝子を淘汰して性格を形成したところにあります。

 皆様の多くは海外で活動されたご経験から、日本人と欧米人の性格の相違に気づかれたと思います。数ある日本人論の中でも土居健郎先生著「甘えの構造」はベストセラーになりました。土居先生も私も、聖路加病院という日米文化の交差点で体験を積んだ後に、米国留学してカルチャーショックを受けたのが研究の出発点です。甘えというと判りにくいのですが、日本人ならば、本日のような卓話の席で「私の拙い話を聴いて下さって」と必ず下手にでます。これは謙虚とも取れますが、聴衆の忍耐力に甘えて予防線を張っているのです。ところがアメリカ人は何かジョークでドッと笑わせて、「私の話は面白いから、聴かないと損ですよ」と言外に示すのです。

 私はケネディー大統領時代の1963年にフルブライト研究員として渡米し、その後、再度渡米して3年間客員教授としてコーネル大学の教育研究を楽しみました。米国の学生は出来るだけ前の席に座り質問が多く、日本人の学生は出来るだけ後ろに座って大人しく隠れています。教授会では日本のように根回しで事前に結論が出るのでなく、オープンに討議がされるのです。

 帰国してから、自治医科大学で教鞭をとりました。同大学の医師国家試験合格率はほぼ百%、学術論文の引用率も東大、京大を凌いで全国1位となりました。今問題の医師不足の辺地義務の履行率は97%もあり、9年の義務年限終了後も大部分は出身県に止まります。また、体育でも強い大学です。

 日本の大学は卒業後の社会人としての追跡調査をしていないのでどのような教育がよいか、普通は判りません。しかし自治医大では過去30年にわたって各出身県での卒業生の医師としての人格、技能、行動の評価が行われています。その結果は他大学卒業生と較べて抜群です。6年間全寮制であるところはコーネル大学や日本の旧制高校と似ていて、入試面接、寮での行動、卒業後評価まで貴重な教育上のデータとなっています。

 ところがこの優れた教育に大変な失敗が起こりました。教育のグローバル化で、大学の大綱化、良く言えば自主学習、悪く言えば放任型の改革が起きました。国家試験の責任者も私のように叱りながら優しく教えるタイプから、自由な方針になったのです。大綱化によって、心身を鍛える体育や基礎科学初科目が選択となりました。これらは煩わしい学科ですから選択する人が減り、応用科学の臨床医学ばかりが増えました。ゆとりの教育ですから空いた時間に自由な活動が増えると思うのが教育評論家ですが、週休5日制では安易に過ごし、心身の能力は落ちています。運動部員の数が減り、体育の総合順位が東日本40医大中20位に急落しました。同時に、医師国家試験が全国80医大中38位に急落してしまいました。

 その時、私はすでに女子栄養大学に移っていましたが、家が自治医大に近いため、特別な辞令を頂いて、再び指揮を執り、体育も必修、勉学も厳格型に戻しました。その結果、国家試験の合格率も2003-5年の3年間は100%に回復し、運動部員も増え、体育の総合順位も回復したのです。同様女子栄養大学でも一時は50%台に低下した国家試験の合格率を丁寧な教育で93%にまで回復させることが出来ました。

 米国では成功しているゆとりの教育がなぜ日本では上手く行かないのか。教育は受ける側の性格に適した方法を選んで始めて成功するのです。この図は性格の遺伝子として有名なセロトニン輸送体の遺伝子多型(polymorphism=正常人の間の遺伝子の小さい相違)の頻度の日米間の相違です。セロトニンというのは神経伝達物質(neurotransmitter)の一つです。日本人はSS型が7割、同じ日本人でも私のような積極的なLS型は3割です。ところが米国ではSS型は2割弱、LS型が約半分ですが、LL型のように超積極的な人も3割強います。米国の学生には自主学習、日本のSS型学生には丁寧な介入が有効と推定できます。この性格遺伝子は雅子妃殿下の侍医をしておられる慶応大学の大野裕教授から分けて頂きました。

 性格の遺伝子というのは大変複雑で、多くの遺伝子多型の組合せになります。私共が調べたもう一つのドーパミンという神経伝達物質の受容体でもやはりその反復配列が少なく、積極的に新規な物を探求する反復配列の多い多型は、日本人では、僅か13%しかいないのです。

 ご存じのように、心理テストは文化と密接に結びついた言語を使うので、米国人を英語でテストしたものを和訳して日本人に用いても、正確には行きません。しかし、最近では、感情を良く示す脳の扁桃核(nucleus amygdala)の活動を機能的磁気共鳴画像(functional magnetic resonance imaging)で客観的に測定出来るようになりました。怖い顔や嫌な顔を見るとS型の遺伝子を持っている人は心配になってきて、扁桃核がL型の遺伝子の人のそれよりも赤く活動しているのが良く判ります。

 いままでは、グローバル化が日本人の教育に及ぼす影響を述べましたが、食事が欧風化したために生活習慣病が大幅に増えました。日本人に多い飢餓耐性遺伝子(thrifty genes)によって、エネルギーが欧米人より節約され、糖尿病の元になる耐糖能異常や、脳梗塞や心筋梗塞の原因になる高脂血症が激増してきました。

 そこで、2000年から政府は「健康日本21」政策という、国民の自主的な努力による健康の増進を図りました。これだけの健康ブームなのに、昨年に中間評価して驚いたのです。男性の肥満頻度について見ますと15%に減らす目標どころか、年率1%で肥満は増え続け、ついに29.5%になりました。男女とも千歩増やす予定だった1日の歩数は逆に大きく減少したのです。朝食習慣や飲酒も悪化しました。癌も増えたのですが、これと対称的に米国のHealthy People 2000では、癌も心筋梗塞も大幅に減りました。SS型の人はよいと判っても煩わしい行動変容は避けるタイプなのです。

 歩行や禁煙が健康に良いことは子供でも知っています。つまり、健康政策の失敗は知識の不足ではなくて、行動変容の欠如にあるのです。自主的な行動変容は日本人のSS型性格には向かないのです。アメリカの大統領が自らジョギングをしているのを、多くの日本人に期待するのは無理でしょう。

 一般の栄養指導のように、単に講義をして、指導書と歩数計を配るだけでは体重は改善しないのです。しかし、SS型の人は、横並びで安心するので、小グループで指導し、その後で個人指導すると減量に成功するのです。

 女子栄養大学の栄養クリニックでは4群点数法(高校では4群法)という栄養指導と運動だけで、肥満はもちろんのこと血清の脂質も血圧も血糖も半年で大きく改善します。これは小グループと個人の指導を丁寧に行うので成功するのです。

 それでは性格の遺伝子に差があるのでしょうか。SS型の空腹時血糖値は、LS型、LL型に比べ、栄養指導により、有意に低下させ、リバウンドも起きていませんでした。つまり従順なSS型の人たちは、丁寧に指導してあげると、LS型やLL型の人よりもよい成績なのです。

 最後に日本の伝統文化によってなぜSS型性格遺伝子や飢餓耐性遺伝子が増えたかを考えて見ましょう。その根底には、弥生人の数千年にわたる稲作文化があるのです。いまから約7000年前に揚子江沿岸で稲作文化が栄えた事は、最近発見された河姆渡の遺跡からもわかります。稲と人体のミトコンドリアの遺伝子で弥生人が2000年前に秦の始皇帝や漢の武帝の弾圧を逃れて日本に渡来したと推定できます。稲作には厳しい協同生活が必要ですから身勝手なLL型は村八分で淘汰されたと思われます。また熱帯植物の稲は約10年に1回は気候変動で大きな飢饉を起こします。そこで飢餓耐性の遺伝子を持ったSS型の人達が助け合いながら生き残ったと考えられるのです。