卓話


米山月間例会
米山奨学会と私の人生

10月1日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

世澤律師事務所 弁護士
元米山奨学生 姫 軍氏 

 今日のテーマは「米山奨学会と私の人生」です。39歳の私に人生の何が言えるかという思いはありますが,米山奨学会の奨学生としての2年間は,私に大きな影響を与え私の人生を変えたという話をします。

私は1969(昭和44)年生まれです。18歳の時に高校を卒業して北京大学に入りました。私は,高校3年の時に,共産党のメンバーに選ばれていました。そして北京大学法学院に進んだことから,高校の先生や生徒たちから,大きな期待を持たれていました。

 自分も大きな夢を持っていました。将来は中国を背負って立つ人間になりたいと思っていました。

1989年,私が20歳の時,中国に大きな事件が起こりました。北京の天安門事件です。私は北京大学の学生として,他の学生と一緒に一生懸命活動しました。それが理由となって卒業だけはできましたが修士課程への進学はできませんでした。
あの時代は,仕事は国家からもらいます。

 当然のことながら,仕事もありません。ここで何もできないのなら外国に行こうと思っても,私にはパスポートが発行されません。

1992年,23歳の時,やっと政府からパスポートを貰いました。そして日本に来ました。というより,当時は日本以外には行くことができなかったのです。

私は日本語も全くできないで,日本にやって来ました。私はアルバイトをしながら日本語を勉強しました。新宿の店のハンバーガー店で働きました。朝早く,池袋の日本語専門学校に行って黒板をきれいにします。これは仕事です。夜は板橋の居酒屋で,洗い場を手伝いました。

1994年,やっと東大の研究生になることができました。学位の勉強ではないので奨学金は貰えません。大学で,先生が時々私を見て,「何故あなたは立って本を読むのか」と尋ねました。私は「立って本を読むと,眠くならないのです。」と答えました。

当時,私は5時に起きてアルバイトをしていました。10時に学校に行って勉強を続けると眠くなります。そこで,眠気を抑えるために,いつも立って本を読んでいたのです。

先生は,これ以来,何かにつけて気を配ってくださいました。そして,米山奨学会に推薦してくださったのです。

日本に来て,何が一番苦しかったかというと,生活の苦労でもなく労働の辛さでもなく,自分の未来が見えない。このままでは自分の夢が持てないということでした。

私は日本に来て,最初の休日に東京大学のキャンパスに行きました。自分は将来この大学の学生になるという夢を持ちました。その夢をずっと持ち続けました。

 実際に東大に入ってからの3年間,毎日,大学のキャンパスを歩いていると,つい,自分の夢を忘れていました。

ロータリーの奨学会は,私の人生に夢をくれました。夢を実現するための力をくれました。夢を実現するための自信をくれました。

東大の大学院を卒業した私は,もっと大きな夢を持ちました。

 国際弁護士になるためにアメリカに行きたいと思いました。そして,1997年,アメリカのハーバード大学ロースクールに合格し,修士課程で勉強しました。私はここでも,大学から奨学金を貰いました。

アメリカの有名な弁護士事務所に3年ほど勤めた私は,さらに,「中国に帰ろう」という大きな夢を持ちました。

2000年に中国に帰国しました。アメリカを離れて中国に戻ったことは本当によかったと思っています。私をサポートしてくださったRCの皆さんも,私が中国で活躍することが大事だと,期待してくださったと思います。

2004年5月,私は北京に弁護士事務所を作りました。最初は4人でスタートして今は60人の弁護士事務所になっています。先月,上海事務所もできました。

私は創業パートナーとして,北京と上海を行き来して仕事をこなしています。2003年,12億ドルの企業買収案件を担当した仕事は,中国最大のものと注目を集めました。2007年には,1億3千万円の渉外商標権の損害賠償の商標権侵害訴訟で勝訴し,このことで『Managing IP』より「アジア太平洋地区2008年最優秀商標案件賞」を受けました。
私の夢は,どんどん大きくなりましたが,スタートは,夢と力と自信をくれた米山奨学会です。

いま,2年間の米山奨学生の生活を振り返ると,この奨学金制度では,世話をしてくださるクラブがあり,カウンセラーが面倒をみてくれます。単なるお金のやり取りではなく,人と人の接点,心と心のコミュニケーションがあります。これが最大の特徴です。

当時,東京臨海RCは設立2年目のクラブで,私が最初の奨学生でした。皆さんは本当に一生懸命私の世話をしてくださいました。

 一昨日,私は,この東京臨海RCの方々と食事をしました。皆さんは「たいしたことはやっていない。でも,自分ができることはやった」とおっしゃいました。

その頃,私は初めてゴルフを体験させてもらいました。当時のスコアは144でした。今ゴルフが大好きで,やっと90台になって,時々80台です。今にして分かったことは,一緒に回ってくた皆さんは,殆どプレーできずに私の世話ばかりしてくれたんだということです。本当に私のために回ってくれたのです。

私に日本のいいものを見せようと,相撲にも連れて行ってもらいました。部屋まで行ってチャンコ鍋までご馳走になりました。

海に出て釣りにも行きました。貧乏学生においしいものを食べさせてもくれました。

私にとって,RCの存在は,お金の存在,奉仕というスローガンとしてのRCではなく,人と人の付き合い,心と心の触れ合いという存在として,大きなものです。

私は,米山学友として4人目の米山功労者メジャードナーとなりました。この奉仕は,姫軍という人間が寄付をしたということではなく,東京臨海RCの米山奨学生だったからできたことだと思っています。

どうして寄付する気持ちになるかというと,直接の動機は非常に素朴です。お金を寄付して誰が一番喜ぶか。私ではない。私の家族でもない。一番喜ぶのは,当時,私を世話してくださった東京臨海RCの皆さんだと思います。私は,東京臨海RCの皆さんに喜んでもらうことをしたかったのです。これが本当の気持ちです。

東京臨海RCは今年で15周年を迎えます。私は皆さんと会って本当に嬉しいです。皆さんも喜んでくれました。東京臨海RCで育った私が,この伝統ある東京RCで卓話をすることになったことも喜んでくれました。

心と心のつながりは重要です。東京臨海RCは,今年の中国にあった大地震では,私を通じて高額の寄付をしてくれました。このような心のつながりから深い感動を受けます。

米山奨学会は,私に夢を与えてくれました。もう一つ,恩返しの心を与えてくれました。

今日,ここにおられる会員は,みんな私より立派な方々です。ですから,私は皆さんにしてさしあげることは何もありません。

しかし,皆さんは,「お前がして貰ったことを,次の世代にしてあげさない」という思いをもっておられると思います。ですから,私はそれを実行します。

私にとって,RCは,一番は夢をくれた。二番は恩返しの心をくれたという存在です。

奨学金をいただいた時の喜びは今も覚えています。しかし,寄付した時の充実感は,それに勝るとも劣らぬものです。

RCの三つ目のよさは,コミュニケーションができることです。皆さんからいただいた恩義はお金では返せません。ですから,気持ち(心)を大切にしたいと思っています。

いま私は,中国での米山奨学生のネットワークを作りつつあります。みんな積極的に対応してくれています。みんなはRCに対して強い感謝の気持ちを持っています。彼らは,立派になって,将来,必ず日本と中国が交流するときの役に立つと思います。

米山奨学生は一つの社会になっています。みんなつながっています。みんな友達です。台湾の人とビジネスをやった時,たまたま,相手も米山奨学生だったことから,信頼を得て一気に交渉が成立した例もありました。

 米山奨学生の心は同じです。同じ考え,同じ理想をもっています。このような人たちを作ったのはRCの米山奨学会の功績です。

若者は大変苦労しています。彼らは少し力を与えてやれば,一歩踏み出すことができるのです。かつての私もそうでした。若者にはその一歩がかなりたいへんなのです。どうか若者に夢と力を与えてやってください。

  私が,今こうして,ここにいるのは,米山奨学会が夢と力を与えてくれたお陰です。私はこれからも寄付を続けます。それは,私がするのではなく,米山奨学会が育てた人間だからできるのです。10年前の私が今こうなりました。10年後も見てください。これこそが米山奨学会の功績です。