卓話


変わる社会、変わる学校教育

3月10日の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです

(学)渋谷教育学園 理事長
田村 哲夫 氏 

社会が変わると教育が変わるといわれますが,どっちが先かはよくわかりません。しかし,社会の変化と教育の変化が密接に結びついているということは確かだろうと思います。そこで,社会がどういうふうに変わったのか。あるいは,変わりつつあるのかということを少し説明してみたいと思います。

かつての教育システムでは,大学,大学院とかあるいは,高等学校とか中学校とかに入るためには,それぞれ,その前の段階の学校を卒業してから入るというふうになっていました。これからは,それが基本的に全廃され,学校はそれぞれに独立しているという制度になっていきます。大検も廃止されます。

後をどうするのかという問題は,今年の夏までに提議することになっています。 どうして,そういうことになったかというと,基本的な原因としては,国際的交流が大きなものとしてあるだろうと思います。何万人という子どもが,外国で勉強して,日本に帰ってきています。外国では,16歳あるいは17歳で卒業してしまう。その子たちが,すぐに大学に入れないというのはおかしいというのが発端でした。1970年代から80年代にかけて,日本は豊かな国になりました。それが国際的な交流を始めるなかで,日本の社会がこのままでいいだろうかという思いが,教育を受ける側の発想として出てくるわけです。

日本の教育の仕組みについて,簡単に触れてみましょう。戦前の教育には法律がありません。全部「法令」です。私たちが体験した義務教育は国民学校という時代です。昭和16(1941)年に「国民学校令」というのが作られて,それまでの多様な学校制度が,国の命令一下,統合されました。その時に,多様な教育をしていた学校がつぶれます。同じ義務教育を受けるという制度が徹底します。

余談ですが,このあいだ,OECD諸国に対する学力の国際比較の調査がありました。その結果について,日本の子どもたちの得点はかなり高いから心配ないという意見と,一方,心配だという意見もありました。

心配だという意見の一例を申しますと,理系の問題で「谷合いに川が流れていると,そこに土ができて,平野ができる。そこで農業をやることの,よい点を書きなさい」という設問です。日本の子どもたちの7割か8割は正解を書きます。世界的平均が5割程度ですから,日本は高得点です。

ところが,第2問で「全く同じ条件で悪い点を書きなさい」という設問には,日本の子どもたちの正解は2割程度です。世界の平均は,これも5割程度ですから,こちらのほうは,ものすごく悪い。

つまり,日本の子どもたちは「こうなると〜なります」ということを覚えて,答えを書くことはよくできる。しかし,「こうなると〜なる」ということが予想できないようなことには答えにくくなってしまう。これが日本学校教育のもっている弱いところだといわれだしているのです。

私は昨年の年末に,アメリカの歴史学者ホーフスタツター氏の著書「アメリカの反知性主義」を翻訳して上梓しました。この本について,NHKの「ラジオ夕刊」という番組で話をしました。私は,アメリカの力の源泉を証明したつもりなのですが,アメリカの悪口を書いているととる人もいるようです。

そうではなく,先ほどの農業の質問と同じように,一つのことには,いい点と悪い点がある。そのことが分かる人間にならないと困るのだといいたいのです。これからの時代は,教育のなかに,そういう力を養うことを要求しているのですが,それが,なかなかできないという面があることは残念なことです。

ただし,OECDの学力調査の結果を見ると,我が国の教育はいいほうなのです。ひどいのはドイツとフランスです。両国ではショックを受けて,大きな国家問題として何とかしなければいけないと考えているようです。

 よい国は北欧です。トップはフィンランドです。おもしろいのは,高い点をとった国には共通項が見られます。どういう共通項かというと,教員が職能訓練を受けていることです。教員が社会の一般的な仕事について知っているかということはかなり影響があるのです。社会的知識を身につけるような仕組みで教員が養成されていると,そういう教員に教えられた子どもは高い点をとるようです。

一つのクラスや学年が共同の目標を立てて,みんなで目標に向かってがんばろうといっている独・仏のような国は得点が非常に低いのです。北欧のように,先生が一人ひとりの生徒の面倒をみていると感じている,あるいは,思っている国の得点は高いのです。

これが,今の時代の変化,社会に変化,教育の変化をもたらすということにつながってくるのだろうというふうに思っています。

日本は,どちらかというと,文科省を中心にして厳しく統制して,自由は感じられないので得点が低いのではないかと思うかもしれませんが,実はそうではありません。

 フランス,ドイツに比べて,日本ははるかに自由があります。かつてドイツはナチスの全土統一の教育を反省して,分権を主体として,13の州それぞれの教育をやりました。結果は大失敗で,13の州権化した教育システムが成り立つということになりました。これは国がやるよりもっと怖いことです。

我が国が今,向かおうとしている分権という仕組みは,私はかなり慎重にやったほうがいいと最近思っております。

つまり,国が統合することのよい点もあるのです。国は命令だけはするけれども,地方ではそれを守らないとか,首をすくめて過ごして勝手なことをやるということですと,それがよい点になる面もあるわけです。ただ分権すればいいと単純に考えるのは,ドイツの失敗を見ても,問題だと思います。

それでは,社会の変化,教育の変化という形で,これから先どうなって行くのだろうかというと,教育については,流れとして,基本的に集団から個人をみるという方向にいくと思います。

同時に,いちばん大切な部門である高等教育を,どうしっかりしたものにするかということです。カリフォルニアの高等教育で有名なクラーク・カーという先生は「優れた国には必ず優れた高等教育機関がある。高等教育機関が優れたものがある所は必ず優れた国だ」という有名な提言を残されています。

翻って,我国の高等教育機関は世界的に見て優れているだろうかというと必ずしもそうではありません。では,世界の羨望の的はどこか,「The envy of the world」という言葉がありますが,それはアメリカです。アメリカが豊かな国だからということだけではないのです。アメリカが国立大学を持たないと決めたのは,第4代マディソン大統領の時です。国を挙げて議論して国立大学を持たないことに決めました。そして,みんながいける大学というものを希望します。

 具体的な変化は1887年から1911年の間に起きます。大学と高校の争いが起きます。大学は,あるレベルに達しているように高校で教えろと言い,当時の高校は大量の移民の子弟に対して,勉強より生活の知恵をマスターさせるというふうに変わっています。大学はそれでは困るものですから,学力低下論争が起こります。「大闘争」といわれた論争は高校側が勝ちました。そこから百年間の高等教育機関はすごい苦労を強いられました。そして見事に今の大学を創りあげました。

どうやったかというと大学の多層化です。トップはハーバード,エール,プリンストンなどの世界的な大学です。いちばん下はコミニティーカレッジといわれる,明日入りたいと思ったらすぐにでも入れる大学です。

アメリカの高等教育機関の優れているところは,コミニティーカレッジで勉強して一定の力をつけるとハーバードに移れるのです。この柔軟さは,青少年に対して,教育に対する信頼感を与えます。そうして,入学はしやすいが卒業はしにくいという理想的な高等教育機関ができあがったのです。

我が日本は,今,国立大学をなくすということにしました。国立大学は独立行政法人になります。そうして,これから民主主義の国としての高等教育機関を作り上げていく努力をするということが始まったわけです。

この改革は高等教育機関の間で競争を起こして,世界と競争できるような大学を作りあげていくことです。教育のシステムは基本的に高等教育機関がしっかりするということなのです。大学,大学院は高校の階段に関係なしに存在する。そして多様な大学となる。誰でも入れる大学という仕組みを作ると同時に,大学そのものの質を向上させるというふうにすると,結果としては日本の社会の変化に応じた教育制度になるだろうと思います。