卓話


ロータリー財団月間例会
私とロータリー〜奨学生からロータリアンまで〜

2019年11月6日(水)

かながわ湘南ロータリークラブ創立会長
日本ロータリー学友会
代表幹事 高木 直之氏


 今日は、実はひいおじいちゃんに会いに来たような気持ちです。と申しますのも、私のかながわ湘南RCの親クラブは横須賀RC、その親が横浜RCで、そのまた親がこちらだからです。どうかお手柔らかにお願いします。

 私は1962年1月22日に東京で生まれました。神奈川県立湘南高校を経て、1981年に東京外語の英米語学科に入学。得意な科目と言えば英語ぐらいで、英語で食べていきたいと思っていましたが、同級生に2名帰国子女がいて、英語の運用能力では逆立ちしてもかなわない。いつかは英語圏に留学したいと思っていました。

 1987年、晴れて国際親善奨学生として、米国の東海岸にあるニューハンプシャー州のニューハンプシャー大学の大学院で学びました。専攻は英語教育で、ロータリー奨学金の面接の時、「日本の英語教育に貢献して、世界平和に役立ちたい」と大風呂敷を広げました。現在は国立大学で英語を教え、大学センター入試の英語に初めてリスニングが導入された時には3年続けて出題委員も務めましたので、多少はご恩返しができたのではないかと思います。す。どうかお手柔らかにお願いします。

 この留学のホストクラブとしてDurham Great Bay RCがあり、私のカウンセラーであったスキナーさんとの出会いが、私の人生に影響を与えてくれることになりました。Durhamは、日露戦争の講和条約が結ばれた軍港ポーツマスの近くの町で、緯度は北海道とほぼ同じ、秋は紅葉がきれいな所でした。アメリカのお父さんであるスキナーさんは、一言で言えば「いい人」。どれほどお世話になったかわかりません。彼がいなければ、ロータリーとこれほど関わってはいなかったでしょう。

 留学を終えて一度帰国したのち、博士号を取るべく、再び1988年カリフォルニア州立大学Irvine校 の認知心理学科に入学。1991年にアメリカに遊びに来た高校時代の同級生と学生結婚しました。もう29歳でした。お金がなかったので、スキナーさん夫妻に頼んで、Durhamの教会でささやかな結婚式を挙げました。

 1993年にめでたく博士号を取得して1994年に帰国。1995年から東京商船大学で教え始めました。この間、日本ではバブル絶頂期だったそうですが、私はそれとはまったく関係なく、ずっと貧乏でした。直之の「之」は、貧乏の「乏」の上の「ノ」をとったものです、と紹介するぐらいでした。ちなみに、東京商船大学は2003年に東京水産大学と統合し、東京海洋大学となりました。「さかなくん」で有名です。

 アメリカでは、東部、西部、南部、都合7年渡り歩き、帰る時にもう一度スキナーさんに会いにいってから帰りました。

 帰国後、送り出してくれた鎌倉RCのある国際ロータリー第2780地区の財団学友会活動に参加。1995年から2年連続で代表幹事を務め、二人のRI会長エレクトの通訳をさせていただいたり、地区大会のシンポジウムに出たりしました。

 2004年、ロータリー100周年を祝うための地区のプロジェクトとして、元RI理事、横須賀RCの小沢一彦様を特別代表として、日本で初めての新世代OBによる「かながわ湘南RC」が創立され、創立会長を務めさせていただきました。会員は23名、うち3名が元青少年交換、残りはGSEと財団奨学金OBで平均年齢が42歳でした。

 認証状伝達式、いわゆるCharter Nightでは、当時のRI理事、田中作次様にもお言葉を頂戴しました。「奉仕には3つのやり方がある。金を出す、汗を出す、知恵を出す」。今でも私達は汗と知恵で勝負をするクラブです。こののち、田中様がRI会長まで上り詰めることになろうとは、夢にも思いませんでした。

 初めての奉仕活動は、タイで津波の被害にあった子供たちが心理療法を兼ねて描いたろうけつ染めのハンカチを売って支援金を作るものでした。被災地に日本のNPOが作った図書館の本の購入費用を寄付しました。

 2年目にはチャリティーコンサートを催しました。財団奨学生に音楽を勉強した人が多く、売り上げでフィリピンの3つの学校に井戸を作りました。

 かながわ湘南RCを作った時に、汗と知恵で勝負するしかない、「ない袖はふらない」大作戦として、知恵と汗を出して資金を作るか、補助金に頼り、費用対効果の高い国際奉仕を、財団学友やNGOとのつながりを生かして実践しようと考えました。私が奨学金をもらった時は1ドル220円位で、当時のお金で1万3000ドル、約200数十万円もらっている訳です。既にポリオプラスが行われており、奨学金の金額を全部ポリオプラスに使っていたら、おそらく230人ぐらいの子供がポリオにならずに済んだのではないかと思うと、我々としては国際的な奉仕活動をして恩に報いたいと、それに力を入れてきました。

 5周年、10周年にもチャリティーコンサートを行い、ミャンマーでマイクロクレジットを、カンボジアでは職業訓練を受けている貧しい女性が通勤に使う自転車を寄贈しました。それから、TOEICセミナーを何度も行い、日本の難民支援に役立てました。地区補助金を使って、ミャンマーの病院に医療器具を寄付、ネパールでは地震で壊れた学校の再建に寄与しました。日本の複数のクラブを巻き込んで、フィリピンの貧しい子供達に小さな英語の辞書を数千冊単位で寄贈したこともあります。ミャンマーのマイクロクレジットでは20万円で一つの村20数名の人達のくらしを改善できました。

 次に地域では、親と暮らせない子供達の施設「聖園子供の家」の子供達と長い間交流を続けています。ハイキングや、ダンスを通じて自己啓発をはかるアメリカの団体のワークショップに参加してもらう援助をしたりしています。

 1991年からは、東京RCの田中栄次郎財団委員長が心血を注いでこられた、日本ロータリー学友会のお手伝いもしてきました。これは日本各地区の学友会の連合体で、1991年より毎年全国総会を開催し、2016年にはロータリー財団100周年シンポジウムを開催し、朝日新聞に広告を出し、さらにUNHCRに寄付もできました。この時、緒方貞子氏が学友人道奉仕賞を受賞されました。残念ながら緒方氏は欠席でしたが、後日代わりに田中栄次郎様が緒方氏に賞を授与されています。東京RCが世に送り出した素晴らしい先輩を亡くしたことは非常に残念です。日本ロータリー学友会は毎年全国総会を開催しており、つい先月、札幌で第9回総会が開催されました。30年前のGSEの同期が勢ぞろいし、30年たっても皆で集まって楽しく話し合えるというのはロータリーの素晴らしさではないかと思います。

 ここから少し個人的な話で申し訳ないのですが、私とスキナーさんとの交流を、もう一度振り返らせてください。

 1987年に出会い、1991年の結婚式にも立ち会って頂きました。1994年日本に帰国する前に、スキナーさんに会いに行きました。彼は壁紙を貼る職人をしており、その前はシカゴで大きな出版社に勤めていました。1998-99年度、スキナーさんは第7780地区のガバナーとなられました。

 2007年正月、スキナーさんたちはフロリダに引っ越し、悠々自適の引退ライフを満喫していました。二人の子供を連れて会いに行きました。

 2011年、私はRIの学友委員会の委員となり、シカゴでの会議の前に会いに行きました。会うのはこれが最後になりました。翌年、スキナーさんはラケットボールをしていて転倒、頭を打って亡くなってしまいました。

 2018年、奥様のルーシーさんと子供たちがフロリダに集まるというので、娘を連れて会いに行きました。今年5月の長期連休を利用し、今度は一家4人でフロリダに行き、5月3日のルーシーさんの88歳の誕生日を祝いました。1987年から32年の月日が流れたことになります。

 今日私は、スキナーさんの形見のネクタイをしています。「3人の子供たちは誰もロータリアンとならなかったからあなたにあげる」と、奥様が私にくれたものです。彼の奉仕の精神を受け継げたことを、私は誇りに思います。

 A life is not important except in the impact it has on other lives. アメリカ初のアフリカ系メジャーリーガー、 Jackie Robinson の言葉です。

 いろいろな訳し方があると思いますが、還暦も近い今は、こう訳したいと思います。「他の人々の人生に影響を与えてこそ、この世に生を受けた甲斐がある」

 誰もが緒方貞子さんのように世界中の人に影響を与えることはできないかもしれませんが、彼が私の人生を導いてくれたように、1人、2人、3人の人生に影響を与えることはできるのではないか。私も誰かの「スキナーさん」となって奉仕の心を引き継ぎ、あの世に行ってまたスキナーさんに褒めてもらいたいなと思っています。

 アメリカのお父さんのガバナー年度、1998-99年度のRIテーマは「ロータリーの夢を追い続けよう」でした。私はこれからも自分の夢を追い続けていきたいと思います。


      ※2019年11月6日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。