卓話


映画音楽ウラ話 

2008年3月19日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

作曲家
東京音楽大学 教授
池辺晋一郎氏 

 作曲の世界には,コンサート用の交響曲,オペラ,合唱曲,ピアノ曲などの「純音」の分野と,映画,演劇,テレビドラマなどの「付帯音楽」の分野があります。

私は,子供の頃から,文学,絵画,映画,演劇がとても好きでした。また,音楽を専攻している学生時代にも,演劇クラブに籍を置いていました。そういう傍系に興味がいく傾向があったせいか,気が付くと,二つの分野の世界を行き来する作曲家になっていました。 私にとって,それは車の両輪のようなもので,片方だけをやっていると,どうしても欲求不満になります。

 自分の部屋で自分の音楽を作曲していると,孤独になります。何処かで誰かに会いたくなります。共同作業のような仕事がしたくなります。そこで,もう一方に行って,映画や演劇やテレビの仕事をします。

映画や演劇の世界は,何をするにも自分勝手にはできません。監督とか演出家とよばれる太い幹が存在しています。すべてのスタッフやキャストは,その太い幹に収斂しなければならないという世界です。

当然,不満も出てきます。その不満を自分の部屋に持ち帰って,一人でいると,新しい曲の発想が浮かんでくるような感じがしてきます。そしてまた,自分の部屋で,一人で仕事を進めるということになります。

そのうちに,また孤独を感じて…,というわけで,両方の間を行ったり来たりしないと駄目なタイプの作曲家になったみたいです。

ドラマの世界の仕事をたくさんやってきましたが,実は,いちばん多いのは演劇の音楽なのです。450本〜500本ぐらいの演劇に携わりましたが,今日は,映画の世界のことに話にしぼってお話しします。

映画では,ずいぶん多くの,名匠,巨匠といわれる方々とお付き合いしました。今,私は『映画監督の叱り方』という本を執筆中ですが、その中の話の、一つ二つを選んで、お話ししたいと思います。

黒澤明監督は,こわい人,近寄りがたい人,と世間でいわれていますが,付き合ってみますと,とてもやさしい人で,物凄い大食漢です。酒豪ですが,飲むのはホワイトホウスだけ。愛煙家でもありました。完璧主義者で,『乱』に出演した仲代達矢さんは,老人のメイクには4時間半もかかって,とてもつらかったということです。

私は,『影武者』や『夢』,『まぁだたよ』などの音楽を担当しました。オムニバスの『夢』が大変評判になり,ニューヨーク・タイムスの記者が,アメリカからインタビューにやって来ました。

黒澤監督は上機嫌で,いくつかの問いに応じていましたが,記者が「結局,この映画で,監督が一番言いたかったテーマは何でしょうか」と質問したところ,監督の顔色がさっと変わり「言いたいことがあるから映画を撮っているんだ。お前は馬鹿か!言いたいことは映画を観れば分かるじゃないか。帰れ!」と一喝。 記者はほうほうの態で帰りました。

『夢』の最後に,素朴な田舎で,葬列が山道を下りてくるというシーンがありました。笠智衆さんが,先頭で踊りながら下りてきます。いろんな楽器を叩いたり吹いたりする人達が続きます。歌もついています。

そこの音楽は「いつの時代の,どこの音楽ともつかぬものをつくれ」というご注文です。無茶な注文ですが,15曲ほどの短い旋律を創って,監督に聴かせました。最初の数曲は「駄目だ…駄目だ」の連続です。8曲目ぐらいになって「おう,ちょっといいね」という曲があります。さらに続けて10番目あたりにも「うん,いいね。いいね」という曲もあります。こうして,曲が決まるのですが,私も,それなりに考えがあって,最初から,聴かせる順序を工夫して,大体,この辺りで,いい曲を聴かせようという段取りにしておくのです。選んでほしい曲を8番目,10番目に弾くと,果たして,うまくいきます。

 このような「手練手管」で,映画の仕事は,少しずつ少しずつ進んでいくのです。

日本映画が,カンヌ国際映画祭で,最高の賞パルムドールをとったのは4回あります。

 『地獄門・衣笠貞之助監督』『影武者・黒澤明監督』『楢山節考・今村昌平監督』『うなぎ・今村昌平監督』の4本です。地獄門以外の3本は私が音楽を担当しました。いい監督の,いい仕事に遭遇した喜びというのは,こういう結果になって現れるのだと思います。

 今村昌平監督の思い出もたくさんあります。「楢山節考」に,農民が歌を歌いながら働いているシーンがありました。もちろんその「歌」は,私が作曲したのですが,最初に,私が監督に,歌って聴かせると「うーむ,五線が見える…」と,つぶやくのです。

「五線紙に書いたような歌では駄目だ」というのです。「土から生えてきたような歌でないと駄目だ」というのです。その歌は,先祖代々,ずうっと歌い継がれた歌なのです。

そうはいっても,実際は,私がつくるわけで,すごく難しいのです。

私は,再び,作曲して,「直しましたから聴いてください…。」と,歌いました。

今村監督は,「うーん…まだ,四線あるな…」と冗談を言ってOKを出してくれました。 今度は,役者に,その歌を教えるのです。役者は,今覚えた歌では駄目です。先祖代々,歌い継がれて,体に染み付いているような歌になるまで稽古をします。何度も何度も…。

私は,こうして,本物をつくることを覚えてきたような気がします。

黒澤監督は,「映画が,ほかの何に似ているかというと,それは音楽だ」と,言っておられたという話を聞きました。

人間の呼吸,息のつき方,息の長さは,映画も音楽も同じだということだと思います。私も同感です。音楽をつくっていても,全体のフレーズの長さや全体の構成の仕方は,映画も音楽も同じだと感じることがあります。

「土から生えてくるような歌」を創る時に,私の中に何が醸造されるかというと,それは学問ではなく,音の生理のようなものです。

音が,無機的な物理的なものではなく,生きているものに感じます。音が意志をもっていて,音符を書いていると,動いていきたいところを意志で示します。私が,その意志に反することをやると,音は怒ります。

音の言いなりになると,私自身が嫌になります。いわば,作曲は犬の散歩に似ています。 犬の散歩は,犬が行きたがる時,そのように進んでやることもあるし,駄目といって,手綱を絞めることもあります。犬を音に置き換えると,私が作曲している実感に通じます。 音は,このように生き物のような存在であると同時に,一方で,「水」に似ています。

音は,水のように下に行くのは簡単ですが,上に行くには何らかの手立てが必要です。上に行く力を与えなければなりません。

音が生き物であり,水のような存在でもあるという感覚が,作曲をしている私の体に,いつでも、存在しています。

 作曲している時に,私自身が自分でなくなって,音の意志に任せるといった瞬間が現れます。音が勝手に動きます。私は,自分が作曲しているにもかかわらず,動いて音の様子を自分の記憶に留めて,作品に仕上げます。

このように,音に任せる心境は,私が長い間,仕事をしていて得たものです。音と付き合っていると,音の性格が分かってきます。親友のような感じです。音が何を考えているか,どこへ行きたがっているかが分かってきます。ここに至って,音に対して,君に任せたよと言えるような気がしてきます。

私は,この仕事をしてよかったのか悪かったのかは,まだ分かりません。ただ,すごく良いヤツと出会ったという実感はあります。それだけでも財産かなと思っています。

いろんなタイプの家康や秀吉に出会いました。ハムレットの音楽も6回かいています。マクベスは,今度,7回目の仕事をします。

それぞれの役者の台詞の味が心の中に残っていますから,それも,音楽の音と一緒に,財産になっていると思うことがあります。

私が,大好きなシェイクスピアで,結びの台詞にしたいと思います。

ハムレットが父親の亡霊を見て,「この天と地の間には,哲学などの思いも及ばぬことがあるのだ。…」私の好きな台詞です。

マクベスが,戦場の絶望のなかで言う台詞,「明日,また明日,また明日と,時は,一日一日を歩み,ついには歴史の最後の一瞬にたどり着く。昨日という日は,すべて愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。消えろ,消えろ,つかの間の灯火。人生は,歩き回る影法師,哀れな役者だ。舞台の上で大袈裟に見得を切っても,出番が終われば消えてしまう。…」自分もそういう人生を歩んでいるような気がしています

留学を終えて職場へ

東京医科歯科大学 大学院
米山奨学生 唐 涛 君


 昨年4月から米山奨学生になり、短い一年間でしたが、私にとっては非常に、大事な一年間でした。米山奨学生になったお陰で、生活の不安定な悩みが無くなり、一生懸命研究や実験などに専念致しました。

 その努力の結果、二通の論文はアメリカと日本の専門誌にそれぞれ掲載されました。又、今月大学内の厳しい最終論文審査を終え、無事に博士号を獲得することができました。

 米山奨学生になり、経済的な面だけではなく、精神面にも大きな励みを受けられたと思います。例会及び他の集まりを通じてロータリアンの皆様と親しくコミュニケーションができ、皆様は各業界において、経験、技術など豊かで、話を聞くだけで大変勉強になりました。あらためて米山奨学生になって本当によかったです。誇りだと思っております。

 当初の予定通り、今月末に中国へ帰国致します。日本での留学及び滞在において得られたすべての成果と友情を土台として、大学病院で働きながら大学の教壇に立って、常に「他人への思い遣りと助け合い」という精神を忘れずに医療活動を行うと同時に次世代の医学生を育てていきたいです。

 これから中国と日本の関係はもっと深くなっていくと思いますが、米山奨学生として、その渡り橋として少しでもお役に立ちたいと思っております。

 米山奨学生になり一年間だけでしたが、カウンセラーの古河様をはじめ、ご在籍のロータリアンの皆様からのご指導及び暖かいご支援に心から深くお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。