卓話


世界における日本文化:富士山の世界遺産登録の意義

2013年11月20日(水)

前文化庁長官
近藤誠一氏


 今日お話したいことは、富士山の世界文化遺産登録が、世界における日本文化の素晴らしさを発信する非常にいいきっかけになったということです。他の世界遺産もそうですが、特に富士山は、特別なのだということをお話したいと思います。世界遺産には、自然遺産と文化遺産があります。素晴らしい自然景観、地質学的価値、生態系で貴重なものが自然遺産です。文化遺産は、人間がつくった文化財のなかで、特に素晴らしいものを登録して保護しようというのが、世界遺産条約の趣旨です。

 富士山は当初、自然遺産として登録申請をスタートしましたが、途中から文化遺産に切り替えました。富士山は美しい山ですが、火山としては特に素晴らしいものではありません。キリマンジャロやハワイの火山と比べるとまったく平凡で、自然遺産にはなりにくかったのです。また、ゴミの問題などもあり、文化遺産に切り替えましたが、文化遺産としての登録は簡単なことではありませんでした。

 本来、文化遺産とは、人間がつくりあげた素晴らしい文化財を登録しますが、富士山は日本人がつくったわけではありません。そこで、いろいろ考えることになります。実は文化遺産には、登録の基準が6つあります。「1」から「5」までは、明らかに人間がつくった文化財が念頭にあってできた基準です。たとえば、基準「1」は、「人類が生んだ芸術の最高傑作」ということで、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」はこの基準をもとに世界文化遺産になっています。

 しかし基準「6」は、「優れた文学作品や芸術作品と実質的な関係にあるもの」という、やや曖昧な基準です。富士山はこの基準「6」に当てはめることで、なんとか登録にこぎつけたのです。富士山の世界文化遺産としての正式名称は、「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」です。この「芸術の源泉」というところが、本日のお話の中心になります。現在、世界中で981の世界遺産がありますが、「芸術の源泉」ということで登録された世界文化遺産は、富士山以外ありません。大変ユニークな例ですが、言い換えれば日本人の自然観、美意識が評価されたに等しいと思います。

 3つの世界遺産、平泉毛越寺の庭園と小笠原、富士山の場合について考えてみましょう。毛越寺庭園は、藤原清衡公の指示のもとにつくられた庭園ですから、「1」から「5」の基準に合い、芸術的、歴史的価値があるということで登録されました。小笠原は、生態系など自然そのものに価値があるということで登録されています。

 富士山は、日本人に芸術的なインスピレーションを与えた「芸術の源泉」として登録されました。日本人が山から芸術的なセンスを汲み取り、芸術作品をつくったということです。葛飾北斎の浮世絵が世界を駆け巡り、ゴッホは見てもいないのに富士山の絵を描くというほどインスピレーションを与えました。ここで注目すべきは、浮世絵などの芸術作品ではなく、日本人にそれらをつくらせた山が、文化遺産になったことです。これは言い換えれば、日本人にそのような素晴らしい美意識や芸術的センスがあると認めたに等しいのです。山に意志はありませんから。これが富士山の文化遺産登録のユニークなところです。

 次に三保の松原です。諮問機関のICOMOSからは当初「三保の松原は除外しろ」とアドバイスされました。「富士山は世界遺産に相応しいが、三保の松原は富士山から離れていて、山の一部ではない」と言われたのです。しかし、最終的な審議で登録に至りました。なぜプノンペンで開催された世界遺産委員会で急遽逆転できたのでしょうか。結論から言うと、「富士山と三保の松原は物理的には離れていても、目に見えないつながりがそこにあるのだ」という主張が受け入れられたためです。

 確かに、三保の松原から見た富士山は有名ですが、距離が離れていますから地図を見ても山の一部ではありません。当初「該当しない」と言われたのは、ある意味ではもっともなことですが、これを聞いた我々はガックリきました。しかし、ここで諦めてはいけないということで、「目に見えない価値」「目に見えないつながり」を訴えたわけです。

 歌川広重の浮世絵には、三保の松原から見た富士山の作品があります。また、富士山を描いた最も古いものに富士曼荼羅図がありますが、この絵でも富士山の下に三保の松原が描かれています。富士山を崇めるにせよ、そこから芸術的なインスピレーションを受けるにせよ、三保の松原と富士山はいつの時代もセットであった、物理的には離れていても日本人の心の中ではつながっているのだ、と主張したのです。これが委員会の理解するところとなって、無事に登録ができたわけです。富士山と白砂青松は古くから一体であり、日本人にとっては目に見えないつながりがあるのだということの根拠として訴えました。説得は簡単ではありませんでしたが、最終的には委員会の認めるところとなったのです。根回しやロビーイングについては、だいぶマスコミなどでも報じられましたが、本日はその点ではなくて、富士山の意義、日本文化の奥深さについてお話したいと思います。

 日本の伝統文化や思想にはいろいろな特徴、見方があるかと思いますが、私はあえて二つに絞れば、「自然観」と「目に見えないものの価値を認識できること」に特徴があると思います。しかし、この自然観や目に見えない価値は、近代合理性には合いません。欧米人は、人間というのは自然よりも偉く、従って自然は開発してよいものだという意識が非常に強いのです。そして、目に見えて尺度で計れる物質的なものに価値を認め、工業化、産業化を進めてきました。そういう近代化の流れのなかで、先程挙げた日本人の二つの思想というのは、あまり前面に出る場面がなく、むしろ傍らに押しやられてきたような気がします。

 しかし、幸いにして日本人にはこうした自然観や価値観が残っていますし、それらは伝統や文化財に秘められていると思います。例えば「作庭記」という11世紀に書かれた庭づくりの書物があります。それには「いい庭をつくろうと思ったら自然の言うとおりにしなさい」と書いてあります。毛越寺の庭園もまさに自然そのものです。どこまでが人工的な庭で、どこからが自然なのかわかりません。

 日本人のこの考え方との違いがはっきりしているのが、ベルサイユ宮殿の庭です。一直線、左右対称、円で構成され、人工的な美を徹底して追求しています。人間というのは偉いという考えを主張すべく、人工美、幾何学的な庭をつくったのだと思います。同じことはティーカップなどにも言えます。有名なロイヤル・コペンハーゲンのカップは、完璧な円に近づけようとしています。他方、楽茶碗のような日本の茶碗は、あえてゆがめてあります。自然界には真の直線や真円は存在しません。日本人は、こうした自然界にないものを人間がつくるなどといった、そんなおこがましいことはしないのです。

 動物に対する考え方も日本は独特です。「夕鶴」は、鶴が恩を返すために人間に姿を変えて機を織って男に尽くすという話です。欧米では、動物が自分の意思で自分の感情を表すために、人間に姿を変えるという話は聞いたことがありません。悪魔が人間をいじめるために動物にしてしまうという話はたくさんありますが、動物が自分の意思で、自分の恩を返すため、自分の愛情を表すために、人間の姿になるという話は皆無に等しいと思います。欧米では、動物は人間よりも格下なのです。

 ものについても同じことが言えます。中世の絵巻物「御伽草子」に出てくるつくも神の話では、年末になるとみんな古道具を庭の片隅に捨ててしまうので、捨てられた古道具たちが怒って「人間はけしからん」「自分たちを使い捨てにした」と、人を懲らしめるために妖怪の姿になり、夜に行進するという話です。むろん滑稽な話ですが、日本人にはなんとなく分かります。この古い椅子捨てたいんだけどちょっとかわいそうだなとか、なんか魂がありそうでという気持ちは分かります。欧米人には、そういう気持ちはあまりないと思います。つまり、動物であろうがものであろうが、日本人にとってみれば、自然界のものはすべて仲間で、equal footingだという意識が強いのだと思います。そうした自然観を持っていれば、当然、自然を敬い、多様性の受容にも向かいやすいのです。

 次は目に見えないものの価値についてです。墨絵や水墨画、書では塗られていないところが大事で、余白にこそメッセージがあるのです。そういう目に見えない価値がわかるということは当然、相手の心や文化、精神性、そういう目に見えないものも尊重できる能力だと思います。三保の松原も目に見えないつながりということを主張して、それが通りました。これは正に日本人的な発想で、物理的に見れば、富士山と三保の松原は別々です。しかし、目に見えない、科学では証明できないけれども、つながりがあるということを主張して、幸いそれが通ったということです。

 こうした自然観と目に見えない価値がわかるということは、人類が直面している資源・エネルギー問題、温暖化等の環境問題、テロや地域紛争などの諸問題に対応していくのに有意義だろうと思います。もっと世界の人たちとこういう価値観をshareしていくべきだと考えます。

 日本人がこの150年間あまり前面に出さず、さらに近代化、合理化のなかで、日本人自身も忘れてしまったのではないかと思われる自然観などの思想、そこに埋め込まれた奥ゆかしさ、相手の心を理解し、自分を抑えて周りと一体になって、周りのために自分も尽くす、そういう発想の素晴らしさを、富士山の世界文化遺産登録により日本人自身が改めて再認識、再評価し、そして日本人であることに自信と誇りを取り戻すきっかけになってほしいと思います。


       ※2013年11月20日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。