卓話


がん患者様を支える貢献活動について

2015年5月13日(水)

螢好凜Д鵐愁
代表取締役社長 児玉圭司君


 当社は、ドイツ発祥のヘアケアメーカーです。

 本体に、メンズ・レディス・ヘアケアマーケティング・環境事業と4つの事業部があり、グループ企業として、ドイツ・カーリン社、ハンガリー、インドネシア(バリ)・ 中国上海の海外4拠点、その他、卓球用具メーカー・ヘアケア製造メーカー・抜型製造メーカーなど、いずれも100%子会社として、本体を含め13の事業を推進しております。

 20数年前から、年2回の全社員を集めた全体ミーティング、さらに、年2回、全社員参加で北海道から九州まで、それぞれの地域に密着したボランティア活動の日を設けています。例えば、病院や、介護施設に行って、技術者は寝たきりの患者様の自毛のカットやシャンプー、我々管理部門は、車イスや点滴台の掃除を行っています。

 17年前に、この活動でご縁ができた医療機関から、抗がん剤の副作用で髪が抜けることがあり、「脱毛のフォローについて」教えて欲しいというご相談を受けました。 そこで、2000年から、医療用ウィッグの事業をスタートしました。

 どうしたら患者様が前向きな気持ちで、つらい治療に臨むことができるのか、 医療従事者ではない我々にできることは、患者様や、そのご家族に親身に寄り添うことでした。お聴きした患者様やご家族の声を、医療従事者にお伝えし、また、医師や看護師、専門家からケアの方法を教えていただくなど、積極的に情報交換を行うことができるようになり、現在、年間約3万人の患者様のサポートをしております。

 さらに、“がん患者様にとっての癒しの場”の必要性を痛感しているとき、メディアで話題の【がん哲学外来 メディカル・カフェ】とのご縁が出来ました。

 2009年、順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授の樋野興夫先生が理事長となり、「NPO法人がん哲学外来」が設立され、病院に限らず集まりやすい場所で、立場を超えて集う交流の場を作る【メディカル・カフェ】という形で、現在は全国50ヶ所以上の地域に広がっています。

 この趣旨が、「患者様に親身に寄り添う」という当社の考え方にピッタリだと感じた社員が、自らカフェに参加し、樋野先生と出会い、その後、サロンの店舗をメディカル・カフェ開催の場として、ボランティアでお使いいただくことになりました。

 暗闇から抜け出せず、重い足取りのままサロンのカフェを訪ねてくださった患者様が、 参加者の方々や医療者と自然に対話をすることによって、固まっていたお気持ちがほぐれ、心の奥底に封印してきた辛い思いに向き合えるようになり、自信を取り戻し、お帰りになるときには笑顔が出るまでになっています。

 がん患者様をサポートする環境は、欧米に比べて遅れている日本ですが、この活動は、増え続けるがん患者様の治療環境の改善に貢献できると考えています。

 医療は、病気に対して「治す」「救う」という主眼から、「癒す」「抱えて生きる」「支える」といったことに、主眼を置き、医療チームは、医師だけで連携するという考え方から、看護師・薬剤師・栄養士・臨床心理士・など、多職種の連携が必要になるといわれています。

 同じ悩みを抱える方々が寄り添い、治療では解決できない悩みや、診察中の限られた時間では相談しにくい内容を解消していただけるよう、我々ができる社会貢献の形を、さらに模索し続けていきたいと思っています。

 それは、世のためにも、また、社員全員の人生にとっても、意義のあることだと思っているからです。「厳しく辛いことがあるかも知れないが、社員の皆さんも後で振り返ったとき、この仕事を通じて、お客様のために、世の中のために、役立ったと思えるような人生を送ってみよう」と、私はいつも社員に訴えています。そして、これが私なりの企業経営の第一歩だと思っています。

 今後も、一人でも多くの『笑顔』に出会えるように、多岐にわたり貢献活動を継続していきたいと思っております。


コミュニケーション(伝え合い)30年
−言葉は心のキャッチボール−

2015年5月13日(水)

一般社団法人国際経済交流財団
会長 日下一正君


 サイマルの創業に関わり、日本の通訳の指導に当たられたICU教授齋藤美津子先生の書かれた本に「ことばのキャッチボール−人と人の心の温かさの交換」という文章があります。私の好きな言葉です。

 国際経済交流財団がなぜ国際交流を謳っているかというと、自動車の日米貿易摩擦の直後1981年に日本についての情報を発信し、海外のオピニオンリーダー達と相互に意見交換をすることを目指し、まさに貿易摩擦が原因で造られたからです。

 当時168万台の対米輸出規制で1981年に決着した日米自動車戦争、或いはその数年後の日本の家電製品がハンマーで叩き壊された東芝機械事件の頃はインターネットも無い時代ですから、ニューヨークタイムス、ワシントンポストなど大手の新聞、CBSなどテレビのネットワーク、その基となるニュースを全世界に配信するロイター、AP通信が、これが事実だと配信すれば、それに対し反論する手段が有りませんでした。特に日本風に関係者の間でどう反論しようかと相談に時間を費やしたりしていると、物事が進展してから反論が3行ほどの記事になっても多くの読者の頭の中は最初の報道が「事実」として占拠しています。

 政治の世界では「perceptionつまり認識そのものが政治的現実だ」という台詞が有り、俗に言えば「言ったもの勝ち」ということになる訳です。

 何とかならないかということで、英文の雑誌を発行し、また欧米アジアのシンクタンクと有識者間の対話を続けてきました。

 最初は日本のモノの見方の広報を目指してスタートしましたが、まさに斉藤先生が「伝え合い」とcommunicationを訳されたように、キャッチボールは相手の取れるところに投げて、また相手のボールすなわち言葉をしっかり受け取らないと続きません。相手の取れないところにボールを投げ、相手が返球出来なかったらこちらが論破したと言ったりするのは、一方的な広報です。

 熱力学の第2法則「冷たい液体と熱い液体が混ざれば、双方変化する」同様に、聞き上手で終わったときに双方変わっていれば大成功です。

 嘗て、モノの輸出が中心だったときは、いいものを作ればモノが自ら顧客を引き付けてくれるという甘えが有りました。市場があるところで現地生産しようとの対応が出てきて、雇用を生み出し地域社会と繋がりを深めていく中で、初めて日本人がこんな思いを持っていいものを作ろうとやっているんだと、顔が見えるようになってきたわけです。

 いくら中国との貿易量がどの国にとっても対日貿易をはるかに上回るようになってきたとはいえ、投資で一緒に事業をやろうという信頼関係には20年を必要とします。 志を同じくする仲間であると感じあえることが財産です。

 そうなると、国境を隔てて敵味方が分かれるのではなく、企業間の競争もいくつかの多国籍のアライアンス間の競争になります。TPPやRCEPと呼ばれる東アジア13か国のFTAを進めるにも、国内で将来へむけての成長戦略を見据えながらサポーターを如何に増やすかが最大の課題になっています。

 もう一つの大きな構造的変化は、政治・安全保障の分野でもそれぞれの国内に於ける決定権が、限られたエリート、専門家の手を離れたことです。例えば最近のシリアへの軍事介入のコミットメントを米大統領が方針変更した事例に見られるように、民主国家においては幅広い階層がついてきて初めて、政治決断が可能になるということです。

 この変化はトラック兇箸い錣譴訐府関係者以外の民間の交流の果たすべき役割が格段に大きくなってきたということを意味します。幅広い利害関係者、有権者に直接ないしメディアを通じて積極的にアプローチすることが、仲間づくりをして何らかのコミュニティに共に帰属しているのだという社会レベルでの共通認識の醸成に繋がるからです。