卓話


京都花街の経営学−350年続く経営の極意 

2012年6月20日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

京都女子大学 現代社会学部
准教授 西尾久美子氏

 太閤さんが免許を出して以来,350年以上も続いている日本ならではの花街。その「おもてなしの技」を解き明かしつつ,産業としてとらえて「京都花街」を分析してみたいと思います。

 京都花街では,おおむね20歳以下を舞妓(まいこ),20歳以上を芸妓(げいこ)と呼びます。現在、芸妓さんは90人ぐらい,舞妓さんは200人ぐらいです。

 彼女たちの仕事,お座敷をマネジメントする「お茶屋さん」は150軒ほどあります。細い路地の軒先に提灯を下げている光景を見かけますが,目立つ看板もなければ料金表も掲げてありません。このように普通の町家のように見え,価格表もメニューもない高級な接待の場所というのは,多分,この京都にしかないと思います。

 バブル景気が崩壊しても,リーマンショックがあっても,舞妓さんや芸妓さんの人数にさほどのは変わりはありません。ということは,それなりに健全な経営だということです。

 舞妓さんは,昔は「内娘さん」が多かったと言います。お茶屋さんや置屋さんが自分たちのお嬢さん方を舞妓にしておりました。 

 世の中が高学歴化したのと,中学を出てすぐの修業生活は嫌だとの思いもあって,舞妓さんの希望者が減り,1975年には5つの花街で30人を切るという事態になりました。

 京都は「伝統は革新の積み重ね」というところです。いち早く規制緩和をして対策を立てました。京都以外の地域から,東京でも北海道でも,お師匠さんなど花街にご縁のある方のご紹介があれば、舞妓さんの候補者を受け入れました。

 ここ10年ぐらいは,インターネットのホームページを見て応募してくる人が多くなりました。皆さんも試しにGoogleで「京都 舞妓」と検索してみてください。各花街のお茶屋業組合さんのホームページを確認していただくことができます。

 最近では,インターンシップに例えられる取組みも見受けられます。中学2年や中学3年の段階で「なりたいという人,生活体験に来ませんか」ということもあります。

 実際に置屋さんで生活体験して,その上で舞妓さんになりたいという人は,保護者の同意を得て,プロフェッショナルな職業として選択をするという意識で置屋での住込み修業を始めます。 
 
 舞妓さんたちになった理由を聞くと,「憧れ」だと話してくれます。最近の子はAKB48になるか舞妓さんになるかに例えられるような、少女たちにとって努力すれば未経験者でもプロとして注目を集める存在なのです。 

 日本には,憧れと希望をもって職業を選択している若い人たちがちゃんといるということを忘れないでいただきたいと思います。

 もう一つご理解いただきたいことは,芸舞妓さんのスポンサーになるということは技能の育成のために,経費を惜しまないご贔屓になるということです。

 多額の経費がかかりますので,最近はそのような方は少なくなりました。そこで,置屋さんが,舞妓さんが芸妓さんになった後も2〜3年は自分のところに置いて,独立自営業者として準備が整ったところで,自前さん芸妓として独立させていくという変化が,この業界にありますの変化です。

 お茶屋の女将さんは,顧客の要望に応じて,世界中の何処にでも舞妓さんを連れて行きます。上海万博にも、お得意様の企業様の海外支店のセレモニーにも舞妓さんが行っています。

 複数ある置屋さんは,芸妓・舞妓を育てるエージェントです。お茶屋さんは、顧客の要望に応じて,芸妓・舞妓を組み合わせて,お茶屋以外の場所にも派遣します。

 このシステムを滞りなく動かすためには,芸妓・舞妓の絶えざる育成が不可欠です。

 舞妓さんのお衣装は,とても高額なものです。さらに,この衣装は約5年間の舞妓時代に3パターンぐらい変わります。最も分かりやすい箇所は,舞妓さんの半襟です。赤地の絹地に豪華な刺繍がされています。年齢があがっていくと刺繍の色が白っぽくなります。

 着物も髪形も変わります。その違いがわかると彼女たちの経験年数も一目で分かるのです。

 彼女たちは,毎回プロジェクトチームで仕事をしています。日に3つのお座敷に行けば,3回とも組み合わせが違います。チームリーダーはメンバーの中で最も経験の長い芸舞妓さんが担当します。

 お座敷では舞妓さんを一目見たら,デビューしてすぐの子か5年経っている子かが分かります。経験に応じて何処に座って何をするのかも決まっています。その段取りがしやすいように伝統的な衣装を保っているのです。履物も,年数によって鼻緒の色が変わります。
 東京にも置屋さんはありますが,京都の置屋さんは,いわば人事部専門株式会社です。
 舞妓さんになりたいという人は置屋さんで一年ほど修業生活をして,京ことばや着物の着方や,障子や襖の開け閉め,畳の縁を踏まずに歩くなどの立ち居振る舞いを,分の娘と同じように,お母さん(女将さん)に教えてもらいます。

 同時に,それぞれの花街にある学校で専門技能を習います。日本舞踊,茶道,三味線や,鳴り物などを習います。

 日本舞踊のお師匠さんから許しを得れば,デビューです。そうすると,デビューする舞妓さんのお姉さん役を引き受ける芸妓さん,企業で例えればメンター役が決められます。

 舞妓さん,芸妓さんの名前は似ています。祇園甲部なら豆○○とか,宮川町ならとし○○とか,上七軒なら梅○○など,似た名前の人が多いのは,姉さんから名前を一文字か二文字を分けてもらうからです。ですから,名前を見聞きすれば,誰が教育指導責任者かが一目で分かります。

 新人がしくじると,クレーム情報が名前を共有したお姉さんのところへ集まります。そうした情報をもとに新人さんは同じ失敗を2度としないように教えられます。

 京都のすばらしいところは,置屋の壁を越えて,姉妹の関係が結ばれることです。ライバルの置屋さんに所属している芸妓さんに姉の役を引き受けてもらうこともあります。先輩の芸妓さんやお茶屋の女将さんが仲人に立って,縁組が結ばれます。この関係がない限りはデビューできません。舞妓さんらしくない振る舞いをすれば,お姉さんから名前を返してくれと言われることもあります。それは廃業の宣告です。

 舞妓さんの学校ができたのは明治5年です。学校で人を育てて,踊りの会という興行を実施しています。都をどりは一カ月の期間に10万人ぐらいの人が集まります。学校と興行と人材育成のリンケージができているわけです。

 芸舞妓さんのおもてなしのスキル,「座持ち」とはどのようなものかをお話しします。

 座持ちは、三つの要素からなっています。一つは伝統文化の技能,これは主に学校で教えられます。二つ目の上品な立ち居振る舞いは、置屋で教えられます。そして、その場に応じた対応のしかたは,現場で教えられます。

 観光客向けのホテルの宴席であれば,100人のお客さまに芸舞妓2人という場合もあります。それでもクレームがこないような「おもてなし」が必要です。お客様のニーズを察して,自分の技能を発露し,最適なサービスを提供する力が「座持ち」です。

 お茶屋のお客様は会員制度のメンバーに例えられます。ですので,お茶屋さんは顧客情報を集め,その顧客のニーズにかなったもてなし方が組み立てられます。よりよいサービスの組み立てには,顧客情報の蓄積が大切ですから,当然ながら「一見さんお断り」の関係になります。お茶屋は新規顧客へは花街のルールを教えるなど,質の良いサービス提供のために芸舞妓だけでなく,場合によっては顧客の教育もするのです。

 京都花街には,競争と協業のビジネスの仕組みが成り立っています。競い合う相手がいないと質が落ちます。また、顧客のニーズに応じて,競い合う相手と連携しないと大きな需要を引き出すこともできません。

 5つの花街全部から芸妓・舞妓を呼んで来て,選抜チームを作って遊ぶこともできます。京都ではこういうこともできるのは,価値競争をしようという強い決意があるからです。

 花代は組合で決まっています。舞妓も芸妓も同一労働同一賃金です。その代わり,価値で競い合わないと退出させられます。その覚悟をもったおもてなし産業を支えるプロフェッショナルたちによって構成される業界なのです。

 私は2007年の9月に『京都花街の経営学』という本を出しました。本日のお話では詳しく触れることができなかった本の第8章の「超長期競争優位性の事業システム」について、ご一読いただければ幸いです。
 最後に,京都花街のビジネスを支える言葉を二つお土産として、皆さまにさしあげたいと存じます。

 まず,「気張らしてもらいます」です。これは,「頑張る=我を張る」ことではありません。「気張る」は,周囲の様子を察知して行動することです。自分のアンテナを伸ばして情報を掴み、努力を重ねることです。

 「相変わりませず」は,お互いの関係を重視して,よい間柄を継続させることを目指します。「相変わりませず」と言えるためには,顧客満足度を上げる努力を続けることが必要です。この二つの言葉は,どのような産業でも,人間関係やよい取引関係を作るために必要な言葉だと思います。