卓話


帰る家のない子どもたち〜カリヨン子どもセンターの活動〜  

2007年4月18日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

NPO法人カリヨン子どもセンター理事長・弁護士
坪井節子氏 

 東京弁護士会では,1985年から,いじめ,体罰,不登校,虐待,少年犯罪など困難な状況にある子供たちに,直接,弁護士が会って相談にのるという活動をしてまいりました。
私も20年の間その相談員をやっております。

 ある少女のことで,本当に深く教えられた事件を一つお話しいたします。

 16歳の少女でした。彼女は覚醒剤取締法違反で逮捕されました。私は家庭裁判所の指示で付添人の任に就き,面会に行きました。

 初めて会った彼女に「いつから覚醒剤やったの?」と聞くと「中学校2年の時から。その前はシンナーやってたよ」と答えました。

 私はびっくりしました。「なんでシンナーなんか吸ったの?」と聞いたら「見たくないことがたくさんあったから」と即座に答えました。見たくないことが何だったのか。そんな問いには,すぐには答えられません。何度も何度も面会に通い,話しをするなかで,彼女の重い人生が浮かび上がってきました。

 彼女は三人姉妹の長女でした。両親は仲が悪く,父親の暴力に,母親は夜中でも裸足で家から逃げ出す有り様でした。父親は八つ当たりで,寝ている子供ちの枕を蹴っ飛ばして,殴り掛かりました。

 「小さな妹が殴られそうになったから,私は妹の前に立ちはだかって,私を殴ってからにしてと言って,妹をかばったんだよ。お父さんが殴りかかってくるから,私,怖くて金属バットを持って身を守ったんだよ。そうしたら,お父さんは,自分が飲んでいたビール瓶を,ガシャンと割って,その破片を振り上げて私に向かって来たんだよ。…」

 毎日,毎日。見たくなかった。聞きたくなかった。殴られたくなかった。罵られたくなかった。…でも小さな子供たちには,どうすることもできないのです。

 子供たちには,「逃げる」という言葉がありません。人に助けを求めるということもありません。どんなにされても,親が大好きです。親にしがみつきます。親から離れては生きていけないと思っています。

 だから虐待は,なかなか発見されません。

 それでも彼女は,小学5年ぐらいになると,自分の足で玄関から飛び出していくことができるようになった。親に殴られて,夜の町へ飛び出して行った。…10歳の子供が,夜の町へ一人で飛び出して行った時の心細さを想像してあげてください。…

 寂しかった。どこへ行けばいいか判らなかった。誰でもいいから側に居てほしかった。…地域には,同じ悩みを抱えている子供たちが,たくさんたむろしています。そんな中に入っていくしかなかったのです。そこで勧められたのがシンナーでした…。

 「これを吸えば忘れられるよと,先輩が優しく言ったの。私,何もかも忘れたかったからシンナー吸ったの…。」

 背負い切れない程の重荷を背負わされてシンナーを吸うしか方法がなかった子供を,私たちは責められるでしょうか。

 でも,警察に補導されて,家に連れ戻された彼女は,父親からは,また,ぶん殴られて,母親からは「あんたみたいな子は産まれてこなければよかったよ。あんたみたいな子は死んじまいな」と怒鳴られた。

 「…私は生まれてこない方がよかった子供なんだ。親ですら,私が生まれてきたことを喜んでいない。自分は生きていたって,死んでいたって,どっちだっていいんだ…。そう思ったら恐いものなんてなくなったよ。」

 子供たちが,自分の命が大切だと判っていくのは,生まれた時から,周りの大人たちに大事にされて「生まれてきてくれてありがとう。かわいいよ,大事だよ」と大切にされていくなかで,自分の命の大事さが判っていくのだと思います。でも,虐待のなかに生きた子供たちには,この大事にされる部分がないのです。自分が傷ついたところで誰も悲しんでくれない…親だって傷つけるんだもの…。

 中学校にあがる頃の彼女は,悪いことはなんでもしてやろうと思った。自傷行為もすごかった。リストカットもしたし,入れ墨もいれた。学校では授業妨害して,煙草を吸ってエスケープして,暴走族に入ってリンチをしたりやられたり…。何度も家出を繰り返して,結局行くところがなくて,やくざに拾われて,覚醒剤を打たれて売春をさせられて,16歳でぼろぼろでした。

 そんな少女に私が会って,いったい何を言えばいいのか。覚醒剤は法律で禁じられているからやめようねとか,売春は自分の体を傷つけることだからやめようと言っても通じません。百も承知でやっているのです。

 私が,やっと言えたことは「貴方が自分は生まれてこなければよかったと思っているが,だけど貴方の目の前に座っている私は,貴方に生きていてほしいと願っているから,それだけは信じてね」ということだけでした。

 きょとんとしていた彼女でしたが,それから細い糸がつながり始めたような気がしています。それからいろんなことがありました。

 少年院送致の結論がみえてきた苛立ちを私にぶつけました。でも審判の前日には「行ってくるね。いい子になって帰ってくるからね。待っててね」と言って少年院に行きました。

 1年後,少年院を出た17歳の中卒の女の子が,この日本で生きていくことが,どんなに大変か。住み込み先さえ見つかりません。パチンコ屋,年をごまかして風俗づとめ,あげくの果てに,暴力を振るう男につかまって子供を産まされ,命からがら逃げ出す始末です。でも彼女は,ぎりぎりまで頑張って本当にもう駄目という時になると電話をかけてきてくれました。彼女の心のどこかに「貴方に生きていてほしいと願っているからね」と言った私の言葉か残っていてくれたのでしょう。

 今,彼女は30歳を越えています。ポツンポツンと点のような出会いでしたが,彼女は再婚して4人の子供のお母さんになっています。

 私にこんな話をしてくれました。

 …公園に,私の知っている中学生の男の子がいるの。お母さんは逃げちゃって。お父さんがお酒飲んで,あの子をぶん殴るの。いつも公園に逃げてきていてシンナー吸ってるの。私ね,あの子の側に行ってシンナーの袋を取り上げて「シンナーなんて吸うんじゃないよ。おなか空いているんだろ。うちに来てごはん食べな」って,毎日連れてきて,ごはん食べさせているんだよ。…

 私は,そんなこと恐くてできないとびっくりしました。彼女は笑って「シンナー吸ってる子供の気持ちは,シンナー吸ってた私じゃないと判らないよね。でもね,私は,子供のときに坪井さんや少年院の先生たちに出会って,人間とはどんなものかを教えてもらったんだよ。だから,だんだん人間らしくなったんだよ。今はね。自分と同じように苦しんでいる子供に,自分にできることはしてあげたいと思うようになったんだよ…。」

 私にとって,彼女は希望の星です。虐待のなかを生き抜いて,少年犯罪のなかを生き抜いて,私たちには何もできなくても,その子たちに「生きていほしい」と,ただ祈り続けことしかできないけれど,そんな子供たちは自分の道を前を向いて歩き出して,いつか私たちに希望を与えてくれます。

 私たちは,問題を抱えた子供たちが今夜寝るところがないという場面に直面します。こうした子供たちは,帰る家がなく,友人の家を転々としたあげく,放浪したり犯罪の被害者か加害者になってしまうのです。

 子供の人権救済活動に携わる弁護士にとって,子供たちが緊急に避難できるシェルターがほしいというのが共通の願いでした。

 東京弁護士会子どもの人権と少年法に関する委員会では,1994年に国連子どもの権利条約が批准されたことを記念して,毎年一作ずつ,子どもと弁護士が作るお芝居「もがれた翼」シリーズを上演してきました。2002年の9月,その第9作「こちら,カリヨン子どもセンター」という芝居を上演しました。

 子供のための公設法律事務所とシェルターが併設されている施設に,行く所のない子供たちが助けを求めて逃げ込むんでくるというストーリーです。脚本は私が書きました。

 この芝居をきっかけに,この舞台を一緒に作った弁護士や,舞台を見た市民から,実際の「カリヨン子どもセンター」を造ろうという声が急速に高まりました。それから1年半,竜巻のような毎日が過ぎました。多くの人の熱意,企業や団体の応援を得て夢が実現しました。2004年6月,NPO法人「カリヨン子どもセンター」が設立され,民間シェルターが完成し,その活動が開始されました。

 弁護士会の子ども人権救済センターの電話相談「子どもの人権110番」に相談が入ると,子供担当弁護士はすぐ対応し,子供が緊急避難を必要としていると認めた場合は,カリヨン担当弁護士と連携して子供を助けます。

 これまで約3年間,13歳から20歳までの子供たち76名が逃げてきています。そのうち女の子が4分の3です。

 親の所に帰れた子は3割しかいません。私たちは,この子たちの行き先として,自立援助ホームを夢に描いていましたが,一昨年の4月に「カリヨンとびらの家」という男の子専用の自立援助ホームが出来上がりました。そして昨年の3月「カリヨン夕やけ荘」という女子専用の自立援助ホームもできました。

 「大丈夫だよ。一人ぼっちではないんだよ。一緒に考えよう。貴方は大事な人なんだから」これが,カリヨンから子供たちに伝えるメッセージです。愛知でも横浜でも今年の4月に,子供のためのシェルターが開設されました。

 カリヨンは,教会などにある,大小たくさんの鐘を打ち鳴らす楽器の名前です。カリヨンの鐘が鳴り響き,苦しむ子供たちの心に,希望の灯がともりますよう,皆様のご理解,ご支援をお願いします。