卓話


俳句のたのしさ

2018年11月21日(水)

俳人協会
国際俳句交流協会
理事 西村和子氏


 私の俳句仲間に若さを保つ秘訣を尋ねたところ、「か・き・く・け・こ」と教えていただきました。それぞれ日本語で二字熟語です。「か」は「感動」、「き」は「興味」、「く」は「工夫」、「け」は「健康」。最後の「こ」は漢字一文字の「恋」です。この5つをずっと持ち続けることは俳句に通じると思いました。

 皆さんに俳句を勧めると、「才能がないから」、「言葉を知らないから」と尻込みされますが、俳句の源は「感動」です。物事に感動する心がとても大切で、俳句の場合は小さな感動でいいんです。小さな発見が大切です。今日は朝寒かったなと思ったら、冬の訪れを実感する。駅まで歩くうちに落ち葉が大分散っていたけれど、山茶花も咲いているし、冬には石蕗の花も咲く。もっともっと寒くなると、朝息が白かった、そんなことを面白がることが俳句の源になります。

 次は「興味」です。何でも知的好奇心を持って、毎日を過ごされる方には俳句はぴったりです。昔ビジネスマンの皆さんに、「一緒に鎌倉に行って俳句も作りましょうよ」と吟行をしました。「今まで椿を咲いているところを眺めたことはあるけれども、落ちている椿までこんなに見つめたことはなかった」と言われたのが私にはとても新鮮でした。「落ち椿」という季語があります。花の形のまま、ぼたっと落ちているのを拾って見ると、椿の黄色い蘂の周りに五弁の花びらが糊付けされているかのようにきっちりくっついています。そんなことにまで興味を持つことが俳句を始めて味わったことの一つだと言われました。

 「工夫」は俳句に不可欠です。俳句は五七五の定型詩ですから、自分の思ったことを何とか五七五で表現しようとします。それから、今の季語を見つける工夫をしたり、出会ったことをヒントにして一つの作品ができる訳です。また、俳句は小説のように長くないので、電車やバスを待つ時間に一句作る工夫ができるのではないかと思います。

 吟行や旅行に出かけたり、元気に出歩けるうちにいろいろな物を見たり、いろいろな季語に出会ったりする、その経験と実感が大切だと思います。それには「健康」です。正岡子規は健康を蝕まれ大変な晩年を過ごしたことで知られていますが、心の健康を保っていれば、あのように作品は沢山できることを教えられます。

 最後の「恋」、これは男女間の恋という狭い意味ではなく、ときめきです。うれしいことにあったり、素敵な人に出会ったりした時に感じる。ときめかないものを俳句に作ると全然つまらないものになってしまいます。私の先生は清崎敏郎、その先生は富安風生と高浜虚子でした。富安風生は晩年よく言っていたそうです。「人間でも動物でも植物も本当に愛情を持って見つめる者にしか本当の顔は見せないものだ」。これは私が俳句を作る時にいつも思い出す言葉です。「ああきれいだな」、「咲いているな」、「虫が鳴いているな」、そんな風に思って見ているだけでは作品にはなかなかなりません。本当にきれいだ、心が癒やされる、そのように思って、愛情を持って見つめているうちに言葉が浮かんでくる。そういう意味で「恋」は大切だと思います。「か・き・く・け・こ」は俳句にとてもよく通じます。ですから、俳句をする方はいつまでも若々しくいられると思うのです。

 句会を毎週やっています。その句会の楽しみが俳句の楽しさとして続くので、皆さん何年も、私はもう半世紀以上楽しんでいます。句会では、普段の自分とは違う人格になって作品を無記名で出し、誰が作った作品かわからない仕組みで皆が作品の選をしあう。最後に披講という、選を声に出して読んでもらった時に初めて作者がわかります。

 中高年の楽しみの代表として俳句は知られており、俳人協会の協会員の平均年齢は75、6歳です。これはなんとかしなきゃいけないと思うようになりました。でも、句会に出ると老若男女、いろいろな方が参加しています。俳句甲子園というのも盛んで、今年で21回目になり、高校生達が体育会ののりで俳句を楽しんでいます。大学に行ったり世の中に出たりすると止める方が多く、残念なことです。

 私がやっている夜の句会はまさに異業種交流会で、学生から年長者まで、検事もいれば弁護士もいます。そうした人達で、普段の仕事で使う頭の部分とは全然違う所を使って、言語感覚を磨くつもりで俳句を作って、ゲームのように句会で楽しんでいます。こうした句会は、全国で今日も何百カ所、何千カ所で行われています。

 新聞三大紙はもとより、経済新聞、それから地方紙にも必ず俳句欄があり、全国に住んでいる俳句を作る方達が、毎週新しい作品を投稿しています。その選を私も毎日新聞でやっており、一週間に約1,000句来た中から12句を選んでいます。俳句雑誌も同人誌含めて全国に633誌あるそうで、それだけ俳句愛好家がたくさんいます。テレビでNHKの番組もありますが、最近放映されている「プレバト!!」という番組も俳句の普及に貢献していると思います。タレントさん達が俳句を作ってきて先生に見せて、才能ありから才能なしまでランクづけされます。ああいうことは私達の句会ではやっていませんので、どうぞ安心して下さい。

 俳句という言葉は、国際的にも通じるようになっています。世界で一番短い詩として各国で楽しんでいる方が国際俳句交流協会にも沢山います。海外38ヶ国120名の会員が、毎月、英語の三行詩を送っています。私は140ヶ国に英語で放送している NHK WORLDで「HAIKU MASTERS」という番組の選者をしています。「Photo Haiku」という形で一枚の写真と一緒に送られてくる三行詩を選んで発表しています。これがネットでも好評で、番組は今年3年目で、112ヶ国から11,609作品が寄せられました。なるべくシンプルに、写真を見てわかることは説明せずに、写真から得たインスピレーション、思い出、体験、想像した世界を三行詩で表した作品を紹介しています。

 この夏、スウェーデンに国際俳句交流協会の旅行で日本の俳人達と行きました。スウェーデンには157人の俳句協会員がいるそうです。そこでの交流後、ノルウェーに足を伸ばし、作曲家グリークの家に行きました。すると、そこの30代の若い女性の学芸員が俳句を知っていて、小学生の時に作ったと言うんです。私が俳句を教えているとわかると、「俳句って日本語で何て言うんですか?」と聞かれました。ショックでした。「俳句って日本語なんですよ」と教えたら、「そうなんですか。どういう意味ですか?」と聞かれてまた言葉に詰まってしまって。今度外国人に訊かれたらなんと言おうかと考えているところです。

 句会をしていて、とても楽しいなと思うことは、個人になれることです。私は専業主婦でしたので、長く、「西村の奥さん」、子供を育てている時は「○○ちゃんのお母さん」と呼ばれていました。家でも「和子さん」と呼んでくれる人は一人もいませんでした。久しぶりに句会に出た時に、みんなが「和子さん」と呼んでくれたのはとても新鮮な喜びでした。

 私は俳号を作りませんでしたが、今から思えば作っておけば良かったなとつくづく思います。違う自分になるには俳号があるととても便利なのです。社会で活躍していらっしゃる皆様も、名字に肩書きが付き、ファーストネームでは呼ばれないと思いますが、俳句の場合はファーストネームを呼びあうことが習いで、句会に来ると個人に戻れるのです。芭蕉、蕪村、一茶と名前を呼ぶ。それが身分制度の激しかった江戸時代にも俳諧がとても普及した要因ではないかと思います。

 ニューヨークやパリでも句会をしたことがあります。そうしたら、ニューヨークでは、How democratic! How exiting! と言われました。俳句の楽しみを共有できたような感じがし、とてもうれしかったです。パリでも語学学校の生徒に体験してもらったり、日本文化会館の一室で俳句を楽しんでいるフランス人を集めて句会をしました。ニューヨークと同じような印象を受けてくれたようでした。

 ぜひロータリー句会も実現できるように提案させていただきます。私でお役に立てることがありましたら、お役に立ちたいと思います。日本の文化として俳句があるとやっと言える時代になった気がするんです。もちろん他にもすばらしい文化がありますが、ほとんどが享受するだけの楽しみだと思います。俳句は、私達自身が創作者になれる。それが素晴らしいことですし、私も創作者の一人だと言うと、外国では大変尊敬されます。

 俳句は心です。「か・き・く・け・こ」を大切になさる方には大変向いている趣味だと思いますので、ぜひ皆様にも興味を持っていただきたいと思います。