卓話


たとえひと坪の庭でも何十万人の人々を感動させることができる
〜ゼロからの発想〜

2015年5月27日(水)

蠕亳僅孫デザイン研究所 代表
ランドスケープアーティスト 石原和幸氏


 私は長崎市の出身です。原爆の爆心地から約3キロのところに家があり、家の前の小さな丘で爆風を遮ることができました。それから13年後に生まれました。小さな棚田が残っていて、小学校3年生の時、まだ電気は来ておらず、6月に蛍が飛び、蛍の光で空が明るくなりました。8月になると、赤とんぼが帯をなして飛んでいき、夕日に羽がきらきら光りました。その光景を忘れることができなくて、花が好きになりました。

 私は元々オートバイのレースをしたりしていて、全く畑違いでした。父は牛を飼って家族の面倒を見ていましたが、町が出来てきた時に牛が飼えなくなり、畑に花を植え市場に出荷するようになり、私は生け花を習えば手伝えると思って、池坊に入門しました。大学の時で、男性が花を習うというと心配された時代でしたが、たった3本の枝で風景を創ることができることに感動し、生涯この仕事でいきたいと思い、花屋をやることになりました。

 最初は、路上販売の花屋で修行しました。そこで、横断歩道を渡ってくる人に、「いらっしゃいませ。今日はいい花があります」とずっと叫んでいたら、「やかましい。タイミングがある。横断歩道を渡ってくる最後のお客さんを褒めろ」と言われました。振り向いてもらったら、「素敵な薔薇があります」と売る。そういうやり方を身体で覚えました。花が売れるようになると、お客様からの差し入れも増え、花を売るのではなく、自分を売ることを学びました。

 29歳で独立し、一時、全国に80店程を展開し、もっと安く花を提供したいと、中国、ベトナムで花を造りました。でも上手くいきませんでした。そんな時、花の苗を配達しに行った時に、庭を造れるかを聞かれ、やったことがないのに「得意なんです」と庭を造ったら、褒められました。それからちょっとずつ庭の仕事をするようになりました。

 江戸時代、日本は世界で一番庭師が多く、最も庭園文化が発展しました。ガーデンの語源は、「ガードした中にエデンを造る」というものです。家庭は庭があって初めて会話が弾みます。100万人の都市のコミュニケーションのツールとしてデッドスペースに緑が置かれていきました。

 インターネットで、英国チェルシーフラワーショー(以下チェルシー)があることを知り、私は2003年に初めて見に行きました。出場者は、国を代表し、スポンサーも国などで、「あ、無理だな」と帰ってきました。でも、帰国後、「出ようと思っている」と勢いで言ってしまいました。バッキンガム宮殿に電話し、王立園芸協会を教えられ、2004年に出場することができました。

 賞は、ゴールド、シルバーギルド、シルバー、ブロンズと4段階あります。初出場でシルバーギルドをいただきました。スポンサー欄に自分の名前を書き、家を売って2,500万円を持っていきました。小さな庭でも5,000万円位費用がかかります。日本から大勢のスタッフを連れて行き、宿泊して作業をします。庭も10cm刻みで仕上げないといけない。庭を造る何十倍もの植物も必要です。そういったことを何にも知らず、最初の庭は各国の余った材料をもらって造り、それで賞をいただいたので、BBCなどのメディアで取り上げられました。

 帰国し、シルバーギルドメダルを持って挨拶に周りましたが、皆さん、全くこのショーを知りません。そこで、「これに出続けよう」と2004年から11年間、10回出場し、今回は4度目の金メダルをいただきました。テーマは「江戸の庭」です。大工、左官、植木職人が減っていますが、日本の技術は世界に誇れるもので、子ども達も職人になって世界中に庭を造りたいと思うような国になったらいいと思い、アルティザンガーデン(職人の庭)部門で庭を造りました。

 今までに造った庭を映像でお見せします。
 これは、シンガポールのガーデンズ・バイ・ザ・ベイという年間400万人が訪れる庭です。子どもたちが喜ぶ庭ということで、ミゼット(三輪自動車)を苔で造りました。ミゼットの上にはイチゴがなり、足下にはレタスが植えてあります。シンガポールの豊かさ、その陰にある貧しい国とクリスマスを表現しました。2008年にリー・クワン・ユー元首相から呼ばれた大会で優勝した縁で造らせていただきました。

 次は、羽田空港第一ターミナルに2012年に造った「花の楽園」です。2011年にチェルシーに出る準備をしていたら東日本大震災があり、出場を断念しました。被災地には、あまりにも破壊された風景がありました。エリザベス女王の前に美しい風景を造り、「日本にぜひ来て下さい」という思いで造った庭で、それを持ち帰りました。羽田の展示植物は鹿児島県指宿の地熱で栽培した観葉植物ですが、イギリスで作った時は、紅葉、桜等で造りました。

 こちらは、恵比寿ウェスティンホテルの庭です。庭は屋上で重量制限があるため水量を減らし、石はプラスチックのようなものに塗装した義岩を使いました。300種類の植物を植えていて、蛍が毎年飛び、フクロウが住みつくようになりました。私の庭の特徴はたくさんの種類を植えることで、季節感があり、生態系ができて庭も強くなり、メンテナンスも楽になります。

 続いて、今年のチェルシーで造った「江戸の庭」です。何もないところから、建物を含め6日間で造りました。30名のスタッフが3交代で、分単位で造ります。あやめは6月に咲く花ですが、5月19日の朝7時半が審査なので、その時間に咲かせました。赤い紅葉はイタリアで葉を出し、イギリスに持って行ってハサミを入れて調整等をしました。壁面緑化の部分は、上部にセダムという水をやらなくていい植物を植え、壁から紅葉、あじさいが咲いています。イギリスではあじさいはもっと後に咲きますが、ここで咲かせました。

 チェルシーで戦う時は持てる力をすべて出します。突き抜けた美しさがあるからたくさんの人が来ると思って、そうした技術を使います。庭は幅5m奥行き7mで、車1台半の面積です。後ろの借景を利用して、20種類の紅葉を使って色の濃淡で広く見せています。3段の滝を造り、川の中はモルタルを一切使わない技法を使っています。池の周りにはドクダミなど日本の里山にある植物を植え、生活の中の庭を表現しました。水を透明にするために、私達は、水、左官、大工と3チームで庭を造りました。

 次は、チャールズ皇太子との写真です。庭や展示物は600以上あり、王室の方が見られるのはそのうち10個位です。エリザベス女王、エジンバラ公も本当にお庭が好きで、「来年も来るよな?」と言っていただきました。チェルシーには4日間で20万人が来ます。

 私どもは現在、約100名の職人を使い、国内外で庭を造っています。2020年を、私は勝手に「にわにわオリンピック」と言っています。世界中の人が来た時に、「日本は本当に美しい」と思ってもらえるような仕事をやりたいと思い、先日、渋谷のハチ公前に庭を造らせていただきました。ハチ公像の後ろです。2日に1回、メンテナンスをしています。日本にはこうした風景があるのだと、この庭を振り返ってほしい。待ち合わせをする時に、「ハチ公前の庭で」と言っていただけるような庭にしていきたいと思っています。

 最後に、私は全国各地でふるさと大使をさせていただいています。広島県庄原市、人口3万7000人、交通手段は一時間にバス一本という所ですが、4年前、オープンガーデンの提案をしました。庄原には、私が小さい時に見た美しい風景がそのままありました。農家の方に、農作業のついでに家や畑の周りをきれいにしてもらいました。そして、この4年で7万人が見に来るようになり、産品が売れ、移り住む人もいる。里山サミットも庄原からスタートして、今年で3回目になります。

 いろいろな地域でオープンガーデンをし、姉妹提携をしています。将来的には、いろいろな国の方々とつながっていければと思っています。私はぜひ皆さんに、もう一度緑を本気で考えていただきたい。あればいいのではなく、美しく。そのためにはメンテナンスが大事です。

 庭には経済効果もあります。長崎のちゃんぽん屋に頼まれ、テーブル一個分のスペースで、滝を流す庭を造りました。庭のまわりにお客さんが来て、ちゃんぽんも上を頼んでくれるようになったそうです。もう一つは、福岡の山の中のふぐ屋、油山山荘です。2013年12月に相談を受け、湧水を使って池を造ると、去年の7月にミシュラン2ツ星をもらいました。廃業も考えていた店が、予約がなかなか取れない店になりました。

 私はチェルシー規模のガーデンコンテストが日本で開催できたらいいなと思っています。最近オープンしたイオンモール沖縄ライカムの庭を造り、その時に翁長知事とお会いしました。戦争があった沖縄で、花と緑で平和を発信するようなことができないかと、勝手に今度知事にお話をしようと思っています。


      ※2015年5月27日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。